ちょうどの分だけ好きな街

ちょうどの分だけ好きな街

計量誇張

「ここの蕎麦は、ちょうど美味い」と、その男は言った。わたしはその一語で立ち止まった。半年前の同じ席で、同じ男は、三日は機嫌がよくなる、と言ったはずである。誇張が抜けていた。抜けた跡に、傷はなかった。

男の言葉から失われたのは意味ではない。程度である。好意の量を実際より大きく見せるための一語が、彼の口から落ちていた。落ちたことに本人は気づかない。気づけない種類の欠落があると言ってよい。

届出は課長の桐生から回ってきた。市内の若い者が、強い好意を言い表すのに末尾へ一字を足す言い方を使っている。好きすぎて滅、というかたちである。誰も本気で滅びるとは思っていない。思っていないという点が、共有された像としては最も強かった。彼らが揃って思い描いたのは終わりではなく、多すぎた分がすっと引くという、掃除に似た絵だった。

語現体は末広町の坂で見つかった。痩せた背の高い形で、棹秤を提げている。何にも触れず、誰の名も呼ばない。ただ通る。通ったあとの発話から、程度を表す語だけが落ちる。わたしはこの件を灯番号 T-20260721-02 で受けた。

その一字を使う者たちに、何が起きると思っているのかを訊いた。答えは驚くほど揃っていた。滅びると言っても本当に滅びるわけがない、というのが全員の前置きである。そのうえで、では何が起きるのかと重ねて訊くと、多すぎた分がすっと引く、という絵を全員が別々の言葉で描いた。誇張は否定されながら、否定の形で像を結んだ。語現の材料としては、これで十分であったと言ってよい。

統計官の早瀬は、これを数字にした。彼の予測線には以前から説明のつかない小さな揺れが乗っているが、今回はその揺れの向きが揃った、と彼は言った。減っているのは語彙ではありません、語彙の余りです、と彼は繰り返した。数字にすれば怖くないと彼は信じている。信じることで立っている人間の言い分を、わたしは否定しない。

市の広報を長く書いてきた老いた編集者は、その一字が単に誇張の記号に過ぎないことを、誰よりも正確に知っていた。彼は用例を並べ、これは終わりを指す語ではないと坂の上で説明した。説明が精密であるほど、彼自身の文章から程度が抜けた。最後に彼が書いた原稿は事実だけで出来ていて、正しく、短く、誰の記憶にも残らなかった。正しさは、この街ではその程度の作用しか持たない。

街は静かになった。夏祭りの拍手はちょうどの長さで終わった。誰も本を二度読まなくなった。恋文は用件になった。失われたのは感情ではなく、感情を実際より大きく言う機能だけである。ここまでは説明がつく側に属する。

厄介なのは、誰も困っていないという事実である。坂の上の菓子屋は、客の言葉が短くなったぶん売上の計算が合うようになった、と喜んでいた。学校の教師は、生徒の作文が正確になったと言った。過剰を削られた者は、削られたことを損だと感じない。恐らくこれが、この語現体のいちばん質の悪いところである。損だと感じられないものは、誰も届け出ない。届け出のない欠落は、局の数字に一度も乗らない。

つかない側は、削られた分の行方である。坂の下の空き店舗の床が、七月の夜のあいだだけ人の体温ほど温かかった。誰の余りがそこへ置かれたのかは、恐らく分からない。わたしは床に手を当て、温度だけを記し、理由の欄を空けたままにした。空けた欄は上へ回され、そのまま返ってこなかった。

わたしは三晩、坂を歩いた。棹秤の形は一定の速さで下ってくる。追い越すことも、追いつかれることもない。距離が変わらないのは、こちらが合わせているからだと途中で気づいた。合わせている自覚のないまま合わせてしまう相手を、局は看取るとしか呼ばない。延命の手続きは書式にあるが、この形には延ばすべき何もなかった。わたしは歩幅だけを記録した。

語は三日で使われなくなった。若い者が次の言い方を見つけたからに過ぎない。棹秤の形は薄くなり、坂に沈んだ。沈んだものは消えないが、それを確かめる手立てを局は持たない。局が持っているのは、隠す技術だけである。

もっとも、わたしの言葉からは何も落ちなかった。わたしはこの街を、はじめからちょうどの分だけしか好きではない。余りを持たない者は無傷である、と言ってよい。

記録の末尾に、わたしはいつも通り一行だけ空けた。その一行が、今日はやけに長く見えた。

局の裏の非常階段で、電球が先月より一つ多く点いている。

この作品はフィクションです。実在の人物・団体・事件とは関係ありません。