半分だけが友達
七月の雨が、軒の縁から一本ずつ、風のないまままっすぐに落ちていた。乾物屋の女は濡れた前掛けのまま、雨だれの列をひとつだけまたいで、わたしを中へ入れた。末広商店街の、通りの西側にあたる店である。三日前から帳場に見知らぬ客が座っている、という。追い出さないのですか、と訊くと、女は首を振った。追い出す理由が半分しかないのだそうだ。
帳場の客は、入ってきたわたしの方を向いていた。女の話では、その客は毎朝いちばんに来て、乾物の箱を奥から運び、釣り銭の誤りを黙って直していく。同じ客が、帰りぎわに必ず一言だけ、この店の品は湿っている、と言って出ていく。運ぶのはいつも右手であり、その一言はいつも左を向いて言われるという。
語の届出は前の週に出ていた。仲のよくない相手をひとことで呼ぶ言い方を、市内の学校の生徒が使いはじめ、それが商店街の若い店員に移った。外の言葉の音を二つ継いだ呼び名で、意味は初めから二つに割れている。割れたまま、同じ一日のうちに数えきれない回数だけ口に出された。わたしはこの件を灯番号 T-20260721-01 で受けた。
その呼び名を使った当人たちに、意味を訊いて回った。八百屋の店員は、仲がいいのに嫌いな相手のことです、と言った。隣の菓子屋の娘は、嫌いなのに仲がいい相手のことです、と言った。二人は同じ学校を出ていて、同じ日に同じ相手をそう呼んでいる。どちらの言い方も間違っていないと局の教本には書いてあるが、この街では、二つを合わせて一人にすることを誰もしなかった。友達のところで一度切って、残りを別に置く。そういう覚え方が、三日のあいだに商店街の端から端まで揃った。
第四課の白河は、その語の成り立ちを正しく知っていた。友を指す語と敵を指す語を継いだ造語であり、一人の人間の中に両方があるという意味に過ぎない、と彼は帳場の客に向かって説明した。客は最後まで聞いていた。聞き終えてから、白河の右側にだけ向き直り、左側には二度と顔を向けなかった。白河はそのあと、自分の説明のどこが間違っていたのかを何度もわたしに尋ねた。間違ってはいなかった、とだけ答えた。
わたしは客に、何と呼ばれたいですか、と尋ねた。客は答えた。わたしはそれを書き取らなかった。書き取らないことにしている。
二日目の昼、女は客に茶を出した。茶碗は二つ出たそうだ。客は一人しかいないのに、なぜ二つ出したのかを、女は自分でも説明できないと言った。茶は両方とも減っていた。
同じ日の夕方、向かいの荒物屋の主人が店先まで来て、あの客には見覚えがある、と言った。二十年前にこの通りで働いていた男に似ているのだそうだ。似ているのは横顔だけで、正面から見ると誰でもない、とも言った。わたしが正面を見に行くと、客はちょうど椅子を立って、棚の高いところへ手を伸ばしていた。顔は最後まで横しか見えなかった。
この商店街の床は古い。こういうものがよく沈む土地だと、局では言われている。以前の記録を繰ると、無関係な語現体の受理が同じ番地でいくつも続いていた。番地は毎回同じで、店の名だけが違っていた。
三日目の朝、若い店員たちはその呼び名を使わなくなっていた。学校が休みに入り、呼ぶ相手が散ってしまったからだという。帳場の客は薄くなった。薄くなり方には順があり、左の輪郭から先に見えなくなった。右側は、女が表の戸を閉める時刻まで残っていて、最後に箱をひとつだけ棚へ戻した。
その晩、女は帳場の椅子を裏の物置へ運んだ。椅子はひとつしかなかったのに、運ぶのに人手が要ったという。重さは変わっていないのに、持つ場所によって傾きが違ったのだそうだ。物置の戸を閉めるとき、内側で乾物の箱がひとつ倒れる音がした。女は開けずに帰った。開けない理由は訊かなかった。
薄れたものが消えたのではないことは、この土地では誰も口にしない。わたしは記録に、沈んだ、とだけ書いた。次の梅雨に浮くかどうかは書かなかった。
帰りぎわ、女がもうひとつ話した。そのまま写す。あれは半分ではありませんでした、と女は言った。はじめから二人いたのを、みんなが一人だと思っただけです。二人はいつも同じ時刻に来て、同じ椅子に、順番に座っていたのだそうだ。
戸口の鈴は、客が入るたびに鳴る仕掛けになっている。女は毎日、開店から閉店までの鳴った数を帳簿の隅に書きつける癖があった。三日ぶんが残っていた。一日につき一度きりだった。
商店街の外れの自販機の脇に、去年から生えている草がある。まだ名前がない。
この作品はフィクションです。実在の人物・団体・事件とは関係ありません。