焼肉の日と、一枚足りない当番表

焼肉の日と、一枚足りない当番表

語現鴇江市焼肉の日当番表商店街

八月二十九日の午後六時。鴇江市の南商店街、元の精肉店を直した集会所で、わたしは当番表の前に立っている。灯番号は T-20260829-02 として受理する。以下は、見ながら書いた記録である。

この三日、この地区の会話に「焼肉の日」という語が出た回数を数えた。一度目に数えたときは二百十回。二度目は二百九十回。三度目は三百二十回。閾は二百回である。だから、もう遅い。

集会所は高さ二メートルほどの外周壁に囲まれている。子どもたちはここを砦と呼ぶ。壁だけが古くて中身が新しいので、遺跡みたい、とも言う。誰が決めた呼び方でもない。壁の南側は何年か前に修復してあり、そこだけ板が新しい。

玄関の内側に当番表が貼ってある。縦に十九枚の名札が下がっている。名札は木で、一枚ずつ色が違う。赤、青、黄、そのあとは覚えなくていい、と小学五年生の子が言った。覚えると当番になるからだ、と。

わたしは聞き取りを始めた。この地区で「焼肉の日」がどういう意味で使われているかを確かめるためである。

答えは三人ともほぼ同じだった。一度目の子は「肉を焼く日じゃなくて、当番が焼かれる日」と言った。二度目の子は「一人ぶん減る日」と言った。三度目の子は「減った人のぶんを、残りが焼く日」と言った。

「焼かれる」は比喩ではないらしい。名札が一枚、表から消える。消えた人のことは、その年のあいだ誰も思い出さない。忘れるのではない。思い出す番が来ない、という言い方をする。

去年の名前も聞いた。一度目に聞いたときは、誰も出てこなかった。二度目に聞いたときも、出てこなかった。三度目に、小学五年生の子が「去年の当番は十九人だった」とだけ言った。今年も十九人である。減っていないのに、去年の一人の名前だけが出てこない。

契約の作法もある。夕方に集会所へ入るとき、合言葉を言う。「こんばんは、当番です」。中の誰かが「いってらっしゃい」と返す。返されたら、その日はもう抜けられない。

これがこの地区で共有されている像である。誤解は、正しさとは関係なく、細かいところまで一致していた。細かいところまで一致した誤解は、実体を持つ。

六時四十分、集会所の裏の炊事場に、それは立っていた。

人の形をしている。網の前に立ち、こちらに背を向けている。顔があるべき面は炭の色で、平らである。片手に火ばさみを持っている。火ばさみは名札と同じで、一本ずつ色が違う。

わたしは記録上、これを炉番(ろばん)と呼ぶ。

会長の男性が炊事場に入ってきた。この人は正しく知っていた。焼肉の日は語呂合わせで決まった全国的な記念日で、それ以上の意味は無い、と。正しい説明を、はっきりした声で三度繰り返した。

一度目、炉番は動かなかった。二度目も動かなかった。三度目に、会長が炉番の肩へ手を伸ばした。手は網の前を素通りした。触れないのではない。炉番のほうが、その人を見ていないのである。

誤解を共有していない者は、この場に居ないのと同じになる。正しく理解している者ほど無力である、というのは、こういう形をとる。

誤解を共有している子どもたちの手は、炉番に触れた。触れたところで止まらない。押しても引いても、炉番は網の前から動かない。触れる者には止められず、止めようとする者には触れられない。この二つが同時に成り立っているので、誰にも出口が無い。

中学一年生の子が炊事場に入ってきた。合言葉を言った。奥の誰かが「いってらっしゃい」と返した。わたしが聞いた三度目の合言葉だった。

その子のエプロンの紐が、ひとりでにほどけて、結び直された。手には色の違う火ばさみがあった。渡されたのではなく、はじめから握っていたように見えた。その子は自分の手を見て、一度だけ笑った。

紐は、そのあと何度ほどこうとしてもほどけなかった。わたしも試した。三度試した。三度とも、結び目のほうが指より硬かった。

わたしは炉番に、何と呼ばれたいですかと尋ねた。答えはあった。ここには記録しない。

退治の方法は探さない。第四課の仕事は、聞くことと、書くことと、最後まで見ていることだけである。わたしは当番表を写した。名札は十九枚だった。

写しながら、掛け金も数えた。名札を掛ける金具である。一度目は十九個。二度目も十九個。三度目も十九個だった。板は二十枚に見えたことがあるのに、掛け金は三度とも十九個のままである。

第四課の早瀬に電話で数字を伝えた。収束は明日の未明、という返事だった。予測の線には、いつもどおり説明のつかない小さな揺れが乗っているという。早瀬はそれを毎回そのまま報告する。消してよい根拠が無いからである。

日付が変わると、語は急に使われなくなった。翌日の夕方、炊事場の炉番は輪郭が薄くなっていた。網の前の影が、網の目より粗くなっていた。

消えはしない。残滓は残る。当番表の紙は焼けていないのに、近づくと焦げた匂いがする。匂いだけが、足りない一枚の位置を教える。

中学一年生の子は、いまも当番表に名前がある。ただし、その子の話をする人がいない。話す番が来ない、とみんなが言う。

外周壁の、修復したところの板を数えた。十九枚である。もう一度数えた。十九枚である。三度目に数えたとき、二十枚あった。数え間違えたのだと思う。

帰りぎわ、誰も居ない砦の裏に、灯りが一つ増えていた。遺跡の壁だけが残るように、名前より先に掛け金のほうが残る。その灯りの色を指す言葉を、わたしはまだ知らない。辞書にも無い。

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題材の着想: ウィキペディアの記事「バンテアイ・サムレ」(ウィキペディア日本語版 / CC BY-SA)。本文は当サイトの創作で、記事の文章は転載していません。

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