どしゃ降りと、掃いても減らない砂

どしゃ降りと、掃いても減らない砂

語現体鴇江市どしゃ降り記録

九月一日の夕方、鴇江市の岬の先端にある宮ノ首という地区へ、受理票を持って行った。届出人は当番の家の主人で、七十代である。土間は湿っていた。わたしは灯番号にT-20260901-02と書いた。

宮ノ首は昔から漁業で立ってきた地区だそうだ。今は船が三艘しかない。地区には講が残っていて、当番の家が一年ごとに回る。当番になった家は、集落の境に置かれた石を毎朝掃く。決まりごとはそれだけである。石には愛称があって、みな「はきいし」と呼ぶ。掃く石だからそう呼ぶのだと聞いた。

夕方のうちに、主人は古い帳面を出してきた。表紙に当番控と書いてある。中には短い一行が何度も繰り返し書き写されていた。降ったぶんは、境で返す。それだけの文である。意味は誰も知らない。書き写す決まりだから書き写してきた、と彼は言った。

雨の音が屋根で強くなったところで、主人は話しはじめた。わたしは相槌だけを打った。

六日前の夜から、この市はよく降りましてね。傘が役に立たない降り方でした。バス停で一緒になった人が、どしゃ降りだと言うんです。わたしもそう言いました。それが、だんだん雨の量の話でなくなってきました。土砂が降ってきたみたいだ、という言い方をする人が出てきたんです。若い人だけではありません。年寄りも言いました。ええ、どしゃ降りの「どしゃ」は音の言葉で、土砂のことではありません。わたしはそれを知っています。父から聞きました。だから土砂が降ったとは言いませんでした。言わなかったので、誰にも通じませんでした。三日前の朝です。いつもどおり、はきいしを掃きに行きました。石の内側に砂が溜まっていました。海の砂ではありません。山の土でもありません。どこの砂でもない砂です。掃きました。翌朝また同じだけありました。境の外へ運んで捨てても、翌朝は境の内側に戻っています。増えも減りもしません。降ったぶんだけ、そこにあります。

夜になって、主人は一度言葉を切った。それだけです、と言った。

同じ夜、わたしは境の石を見に行った。砂は石を囲むように薄く広がっていた。踏むと乾いた音がする。雨は当たっていない場所である。当番の家の帳面にあった一行を、彼はここで一度だけ声に出した。降ったぶんは、境で返す。返すという語がどこへ向いているのかは、彼にも分からないという。

翌朝、早瀬の集計が届いた。八月二十七日から九月一日までの六日間で、市内における「どしゃ降り」の使用が例年の四倍を超えていた。そのうち七割で、話し手は雨の量の話をしていなかった。土砂が降ってきたみたいだ、という比喩で使っていた。字義と像がずれた分だけ、像は字面のほうへ寄る。どしゃ、という音が連れてきたのは、土と砂そのものの像だった。九月五日以降に言及が減れば、溜まる速さは落ちるという予測が付いていた。予測であって、確認ではない。グラフの下の端には、いつもの小さな揺れが乗っていた。

昼過ぎに、わたしは境の内側に立った。規定では、聴取は石に触れずに行う。姿は無い。雨が上がったあとの、雨の当たっていた場所にだけ、それは居る。降った量のとおりに砂を置く。置かれた砂は掃いても減らない。運び出しても戻る。雨が降るかぎり、それは続く。

昼のうちに、何と呼ばれたいですかと尋ねた。返事はなかった。返事の代わりに、石の陰の砂が、内側からわずかに盛り上がった。わたしは規定どおり、答えを記録しなかった。

夕方、白河が測りに来た。砂の量は、前の日に降った雨量と比例していた。そこまでは合っている。合わないのはその先である。この砂は、どこからも減っていない。海岸の砂は減っていない。裏山の土も減っていない。市の道路にも空き地にも欠けたところがない。持ち込まれた形跡もない。白河は三度測り直し、それから測るのをやめた。数字が足りないのではない。足された数字の出どころが、どこにも無いのだとわたしは書いた。

同じ夕方、主人はよく分かっている人だった。父から言葉の由来を聞いていた。だから彼は、これを土砂が降ったとは取り違えなかった。取り違えなかったので、市にも漁協にも届けなかった。届けても書く欄が無いからである。分かっている人ほど、要求することが無くなる。何も知らない人なら、土砂が降ったと騒いだはずだ。騒げば誰かが来る。来ても無駄だが、少なくとも誰かが動く。彼だけが、誰も動かせなかった。

止める方法は無い。方法という語が、これには当てはまらない。できるのは三つである。溜まる速さを測ること。砂の広がりを毎朝記録すること。そして、掃いても減らないと知っている人のそばに居ること。三つとも、終わらせるための行為ではない。

雨の季節が変われば、薄れは始まるはずだと早瀬は書いていた。降らなくなれば人はその語を使わない。使わなくなれば像も薄くなる。ただし薄くなるのは像のほうであって、既に置かれた砂が消えるわけではない。主人はそれを聞いて、はい、と言った。それから帳面の一行を、もう一度だけ言い直した。降ったぶんは、境で返してもらう。わたしはその言い直しを、そのまま受理票に書き写した。

夜、帰り道で末広商店街を抜けた。局にできることは隠すことだけである。この件も市民には知らせない。知らせれば人が語る。語れば像が濃くなる。濃くなれば、次に溜まる境が増える。防げないのに広げることはできる、という一点で、局は今日も無力だった。

シャッターの前に、明かりが一つ増えていた。前に通ったときには無かったと思う。思う、というだけである。数えていなかったので、記録には残さないことにした。

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題材の着想: ウィキペディアの記事「プロビンスタウン (マサチューセッツ州)」(ウィキペディア日本語版 / CC BY-SA)。本文は当サイトの創作で、記事の文章は転載していません。

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