広域農道と、閉じない区間

広域農道と、閉じない区間

語現体鴇江市広域農道測量

九月一日の朝、市の東の外れで受理票を書いた。届出人は測量事務所の技師で、四十代の男性である。わたしは灯番号にT-20260901-01と書いた。

測点一。彼は起点の基準点の杭を指した。二十年、この市の道を測ってきた人である。杭には自分で番号を振る癖があり、その番号は小惑星番号から取っていると言った。子どものころ、小惑星帯にある天体の一覧を順に読むのが好きだったのだそうだ。誰のための番号でもない。自分がどこを測ったか思い出すためだけの目印である。

測点二。八月の終わりに、彼はこの道を測り直す仕事を受けた。広域農道である。市と隣の町をまたいで、畑と畑をつないでいる。標尺を立て、視準し、区間の長さを出した。数字はいつもどおりに出た。彼はその紙を見せてくれた。

そこから、彼は話しはじめた。わたしは相槌だけを打った。

八月の半ばごろから、この道の呼び方が変わってきたんです。もともとは、市や町をまたいで農地をつなぐための道という意味です。広い区域を受け持つから広域なんです。ところが、みんなが広域を、どこまでも広い、という意味で使うようになりました。あの道はどこまで行っても終わらない、と言うんです。買い物帰りに走った人が、途中で降りられないと言いました。行き先の看板が少ないから、そう感じるだけです。それは分かっています。分かっているのに、朝礼でも同じ言い方をされました。うちの若い者まで、あれは終わらない道だと言うんです。字の意味では、終わるとも終わらないとも、一言も言っていません。それでも、みんながその像で揃ってしまいました。

測点三。八月二十九日、彼は同じ区間をもう一度測った。前と同じ杭から、同じ標尺で、同じ手順で測った。値が違った。前より長い。誤差の範囲を超えている。彼は機材を疑い、点検に出した。異常はなかった。

そして三度目である。九月一日の早朝、彼は三たび同じ区間を測った。ここで顕が起きた。

閉合しなかった。測量では、一周して起点へ戻れば、ずれは小さな数字に収まる。収まらなければ、どこかで測り間違えている。彼は戻れなかったのではない。戻ったのに、起点の杭が起点の位置に入らなかった。数字の上で、道が一区間だけ余った。余った分を、どの測点へも配れない。

姿は無い。杭と杭のあいだにだけ、それは居る。測ろうとした区間の内側で、距離が一度だけ増える。増えた分は次の測定に持ち越され、決して減らない。

昼前に、早瀬の集計が届いた。市内での広域農道という語の使用が、二週間で例年の七倍を超えていた。そのうちの九割で、話し手は行政区域の話をしていなかった。終わらない、という意味で使っていた。字義と像がずれた分だけ、像は字面の広いほうへ寄る。九月半ばに言及が減れば、延びは鈍るという予測が付いていた。予測であって、確認ではない。グラフの下の端には、いつもの小さな揺れが乗っていた。

昼のうちに、何と呼ばれたいですかと尋ねた。返事はなかった。返事の代わりに、いちばん先の杭が、指一本ぶんだけ地面から浮いた。わたしは規定どおり、答えを記録しなかった。

午後、白河が古い記録を持ってきた。この道の残滓の測定値が、五十年前の帳簿と噛み合わない。昔の記録は一つの単位で書かれ、今の記録は別の単位で書かれている。どこで切り替わったかは、どちらの帳簿にも書いていない。白河は換算表を作ろうとして、途中でやめた。

技師はよく分かっている人だった。二十年ぶんの経験がある。だから彼は、これを機材の故障とも計算違いとも取り違えなかった。取り違えなかったので、事務所にも市にも上げなかった。上げても書く欄が無いからである。彼の同僚に、元数学教授だという年配の人がいる。その人は誤差の理屈をいちばん正確に説明できるので、いちばん先に、これは誤差ではないと分かってしまった。分かった人から順に、言えることが無くなる。何も知らない人なら、機械が壊れたと騒いだはずだ。騒げば誰かが来る。来ても無駄だが、少なくとも誰かが動く。分かっている二人だけが、誰も動かせなかった。

止める方法は無い。方法という語が、そもそもこれには当てはまらない。できるのは三つである。延びる速さを測ること。閉じない区間を全部記録すること。そして、閉じないと知っている人のそばに居ること。三つとも、終わらせるための行為ではない。

夕方、局に戻って受理票を綴じた。日付の欄を見ると、受理日が一日ずれていた。前にもあったことなので、直さずに置いた。

帰り道に、農道の入口を通った。杭のそばに、明かりが一つ増えていた。前に通ったときには無かったと思う。思う、というだけである。数えていなかったので、記録には残さないことにした。今日は一日じゅう晴れだった。いや、朝のうちの少しのあいだだけ、曇っていた。

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題材の着想: ウィキペディアの記事「(5048) モリアーティ」(ウィキペディア日本語版 / CC BY-SA)。本文は当サイトの創作で、記事の文章は転載していません。

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