月初と、浜辺の片っぽ

月初と、浜辺の片っぽ

語現鴇江市月初記録

西日が水面に当たって、鱗のような光が細かく揺れていた。引き潮の砂は、普段より遠くまで露出していた。,この記録は、わたしの後任にあたる者に向けて書いている。読み終えたら、末尾の指示にだけは従ってほしい。,鴇江市の北の外れに、四つの山が海へ向かって並ぶ地形がある。名前を書くことは避ける。書けば、この記録もまた「語り」になるからだ。四つの山の最後の一つが下りきったところに、小さな漁港がある。舗装は割れ、係留の輪だけが新しい。,江戸期、その四つの山のうち海に近い一つの中腹に、番所が置かれていた。人の出入りを記録するための施設である。往来を書き付ける、それだけの建物だった。基礎の石は今も残っている。わたしは八月の下旬に二度、そこへ登った。,二度目の帰り、浜で靴を一つ拾った。,片方だけの、子どもの運動靴だった。左足。紐は結ばれたままで、内側に砂が詰まっていた。海から上がったものにしては、乾きすぎていた。わたしはそれを持ち帰り、漁港の掲示板に「拾得物」として貼り紙を出した。二日待った。誰も来なかった。,問題はそのあいだに聞いた話のほうである。,漁港で網を繕っていた男性が、こう言った。月初になれば、前の月の分は流れる、と。わたしは意味を尋ねた。男性は手を止めずに答えた。八月にあったことは、九月の一日を過ぎれば、この浜には残らない。だから月末のうちに、置いていくものは置いていく。,同じ言い方を、その日のうちにもう二人から聞いた。,一人は掲示板の前を通りかかった年配の女性で、「一日を跨いだものは、こちらの数に入らない」と言った。もう一人は漁港の事務所にいた若い職員で、「月初はいったん帳簿が閉じるから、前の月のものは番所のほうへ回る」と言った。,三つの証言は、細部で食い違っている。流れる、数に入らない、番所へ回る。だが構造は一致していた。**月が変わる境目に、前の月のものを引き受ける何かがある**という点である。,わたしは記録係として、この一致のしかたに見覚えがあった。,語現は、多数が同じ誤解を短い期間に共有したときに起きる。誤解の中身が正確に揃っている必要はない。むしろ、細部が食い違ったまま骨格だけが揃うほうが、像は強く結ぶ。三人が別々の言葉で同じ形を語ったとき、それはもう一つの形になっている。,月初というのは、暦の上の区切りにすぎない。前の月と次の月のあいだに、物理的な仕切りがあるわけではない。だがこの浜では、その区切りが引き取りの窓口として理解されていた。,八月三十一日の夕方、わたしは拾った靴を持って浜へ下りた。,潮は引いていた。砂の露出が普段より広く、遠くまで歩けた。水際に立つと、足首の高さで波が返る。西日が水面に当たって、鱗のような光が細かく揺れていた。,わたしは靴を水際に置いた。置いた理由は、記録のためである。誰かが引き取るなら、その様子を見るために。,少し離れて、待った。,はじめに気づいたのは、音がないことだった。波は動いているのに、返る音が途中で切れる。泡が砂に染みるところまでは見えるのに、その音だけが抜けている。,それから、水面越しに見えた。,わたしの足元から沖へ向かって、砂の上に足跡が続いていた。子どもの、左足だけの足跡である。右足がない。左、左、左と、等間隔で沖へ向かっている。水に入ったあとも、水面の下にそれは続いていた。透けて見えた。深くなっても薄れず、四つの山の影が落ちるあたりまで、まっすぐに伸びていた。,わたしは水際の靴を見た。靴はまだそこにあった。,つまり靴は運ばれていない。足跡だけが先に行った。,声を聞いた、と書くべきかどうか、いま迷っている。音として聞こえたわけではない。ただ、番所の記録簿に往来を書き付けるときの、あの短い言い回しが頭の中に置かれた。**通シ**。往来を許した者に付ける印である。わたしはその二文字を、自分では思い出せない形で知っていた。,引き潮はそのあいだも進んでいた。,翌朝、靴は無くなっていた。足跡も消えていた。潮が満ちて引けば、砂の上のものは消える。それは説明がつく。,説明がつかないのは、漁港の掲示板に貼った拾得物の紙のほうである。日付の欄に、わたしが書いていない一行が足されていた。八月三十一日、通シ、と。筆跡はわたしのものだった。インクも同じだった。書いた記憶だけがない。,わたしはこの土地の語現を、次のように整理して記録する。,像は「月が変わる境目に、前の月のものを引き取るもの」として結んだ。呼び名は土地に伝わっていない。番所の役割が形を借りられたのだろうと考えている。往来を記録し、通した者に印を付ける。それだけの機能である。それだけの機能だから、何を通したかは問わない。,以下は後任への指示である。,月初の前夜に、この浜へ何かを置きに行かないこと。置いたものは引き取られる。問題は、引き取りの帳簿にあなたの筆跡で記入がなされることのほうである。あなたが置いたものと、あなたが通したものは、同じとは限らない。,それから、拾得物を貼り紙で告知するときは、日付の欄を空けておかないこと。空いている欄は、埋められる。,潮はもう変わっている。

この作品はフィクションです。実在の人物・団体・事件とは関係ありません。

題材の着想: ウィキペディアの記事「四塚連山」(ウィキペディア日本語版 / CC BY-SA)。本文は当サイトの創作で、記事の文章は転載していません。

コメント

投稿は公開されます。個人情報や誹謗中傷は書かないでください。作品はフィクションです。

同じタグのはなし