月見と、白い蓋の置き場

月見と、白い蓋の置き場

語現体鴇江市月見記録

月見だね、と隣の人が言った。わたしは空を見なかった。その人も見ていなかった。二人とも、台の上に置かれた白くて丸いものを見ていた。丸いものは、別のものの上にのっていた。それだけで、月見だね、と言われていた。

受理はその夜である。灯番号は T-20260902-02 とした。

市内での「月見」の使用が、先週の四倍を超えた。季節の売り出しが重なった週である。空を見上げた者の数は増えていない。早瀬のグラフには、いつもの細かい揺れが乗っている。理由は書かれていない。毎回乗っているので、誰も書かなくなった。

月見は、月を見ることである。わたしはそう習った。鴇江市では違う揃い方をした。人々は月見と言うとき、上に乗せることを指していた。白くて丸いものを、別のものの上に置く。それだけの動作である。八割の使用で、話し手は空の話をしていなかった。像は乗せるほうで揃った。

聞き取りは保管場で行った。市の外れにある。予備として買われた土地である。本来の用途では一度も使われていない。使われないまま、置き場になった。古いものが順に並べてある。地面の下は、前の使い方のころから汚れたままである。土壌汚染が残っていると聞いている。見ても分からない。

保管場を管理している者に話を聞いた。名前は書かない。ここは引き取り手のない物を置く場所だと言った。捨てる場所ではない。置く場所である。置いてあるだけなので、いつか取りに来る者がいることになっている。来た例は聞いたことがない。それでも台帳は毎年つくり直される。

その汚れたままの土の上に、白い蓋が並んでいた。数は数えていない。

記録は書式に従う。第四課の書式である。以下は聞き取りのとおりに書き写した。

手順1 対象を平らな場所に置きます。

手順2 中身が見えることを確認します。

手順3 白く丸いものを、対象の上に置きます。

警告 置いたものを、その日のうちに数えないでください。数えた数だけ増えます。

手順4 置いたまま、その場を離れます。

手順5 翌日、対象を探します。

「次の場合は使用しないでください」の項に、それは現れる。

・対象が何であるかを、正しく知っている場合。

正しく知っている者は、月見と聞くと空を見る。習ったとおりに見る。見上げているあいだに、蓋が置かれる。見上げた者は、置かれたことに気づかない。空はよく晴れていた。

ここまでが書式の写しである。以下は地の文に戻す。

蓋を置かれたものは、探せなくなる。無くなるのではない。そこにある。手が触れる。触れているのに、見つからない。台帳から名前が消えるわけでもない。名前は残る。名前だけが残る。名前だけが残っているものが、保管場には並んでいる。

白河が一つ持ち上げようとした。持ち上がらなかった。重さがあるのではない。持ち上げるという動作のほうが、途中で終わる。白河はもう一度やった。同じところで終わった。白河は手を下ろした。それから、暗くなりましたね、と言った。わたしの言い方である。訂正しなかった。

白河は月見を正しく知っている。子どものころに教わったと言っていた。だから聞き取りのあいだ、白河は二度、空を見た。二度とも、そのあいだに蓋が増えていた。増えたことを白河は知らない。わたしは書き留めた。書き留めただけである。

わたしは尋ねた。何と呼ばれたいですか。答えはあった。書き留めていない。書き留めない決まりである。

それから、話を聞いた。長くはなかった。蓋は置くために置かれている。それ以上の理由はない。置かれたほうが困っているという訴えは、まだ一件も出ていない。誰も困っていない。困っていないので、誰も探さない。探さないかぎり、探せないことは分からない。

聞きながら、手順3をもう一度読み返した。白く丸いものを、別のものの上に置く。この文には、月がない。月見という語の写しなのに、月が一度も出てこない。人々の使い方がそのまま書式になっている。書式のほうが先にできたわけではない。順番は逆である。

管理している者は、月見という語を知らないと言った。聞いたことはあるが、意味は考えたことがないと言った。その者の周りでは、蓋は増えていなかった。増えていないことに、その者は気づいていない。増えていないので、気づきようがない。

帰りぎわに、白河がもう一度空を見た。三度目である。わたしは見なかった。見ないでいることは、対処ではない。ただ、見ないでいるあいだは何も置かれない。それが分かっているだけである。分かっているというのは、この場合、役に立たない。

対処はない。蓋を外す方法を、わたしは知らない。知らないことを知らないと書くのが、この記録の役目である。できるのは二つある。探さないでいること。数えないでいること。それだけである。それだけを残す。

九月の半ばになった。月見という語の使用が減った。蓋は薄くなった。薄くなっただけである。保管場の地面に、白い輪が残っている。輪は消えない。前の使い方の汚れと、同じところにある。

誰も来ない棟の窓に、灯りが一つ増えていた。前の記録では六つだった。今夜は七つある。よく晴れていた。訂正する。晴れていたのは昼で、夜は曇っていた。

この作品はフィクションです。実在の人物・団体・事件とは関係ありません。

題材の着想: ウィキペディアの記事「フェニックス・グッドイヤー空港」(ウィキペディア日本語版 / CC BY-SA)。本文は当サイトの創作で、記事の文章は転載していません。

コメント

投稿は公開されます。個人情報や誹謗中傷は書かないでください。作品はフィクションです。

同じタグのはなし