カレールーの夜、釣り桟橋で茶色い殻をかぶった青年

カレールーの夜、釣り桟橋で茶色い殻をかぶった青年

語現鴇江市カレールー釣り夜釣り

「ハゼが七、セイゴが二。根がかりが三回」

十月十一日の夜八時。鴇江川の河口にある釣り桟橋で、釣具店の苅田さんが帳面に今日の釣果を書きこんだ。店の貸し竿用の帳面で、一行に時刻と人数と匹数を書く決まりだ。その夜の行は「三名・九匹」。三人目の大学生の久住さんだけが、まだ一匹も釣っていなかった。

桟橋の端では、小さな鍋が湯気を立てていた。釣ったハゼと、持ってきた玉ねぎとじゃがいもを煮ていた。久住さんはそこへ、四角いカレールーを一箱ぶん全部割り入れた。「これで何を入れても、全部カレーです。中身なんて分からなくなる」。その言い方は、わたしが昼から何度も読んだ投稿と同じ形をしていた。

この件は、夜七時すぎに T-20261011-02 として受理されていた。前の晩から、「カレールー」を含む投稿が鴇江市内でふだんの六倍に増えていた。多くは同じ一言で終わっていた。「ルーを入れれば、何を入れたか分からない」。料理に失敗しても、残り物を全部入れても、ルーが上からかぶせて隠してくれる。そういう冗談だった。

わたしは受理票の聞き取り欄を埋めるため、投稿した人たちに話を聞いた。久住さんは「ルーは、ふたみたいなもの」と言った。高校生の戸賀くんは「茶色くなったら、もう中は見えない」と言った。土手で犬を連れていた女の人は「上から一枚かぶさって、下に何があったか分からなくなる」と言った。三人とも、同じ形を思い浮かべていた。中身の上に、茶色いふたが一枚かぶさる形だ。

苅田さんは笑って首を振った。「ルーは隠さないよ。具の味はちゃんと残る。ハゼはハゼの味がする」。本当は、そのとおりだ。ルーは味つけで、中身を消すものではない。苅田さんは四十年、この桟橋で釣った魚を煮てきた。ひと口食べれば、鍋に何が入っているか全部言い当てられるそうだ。

そこから、待つ時間が長かった。九時、何も起きなかった。九時半、誰も釣れなかった。戸賀くんは退屈して、土手の草むらで餌になる虫を探しはじめた。懐中電灯の輪の中に、親指の爪ほどの虫がいた。ヨコバイに似ているが、胸部の背中側が大きく盛り上がっている。とげのような、小さなヘルメットのような形だった。「これ、とげのふりしてるんだよ」と戸賀くんは言った。枝にとまると、本当にとげにしか見えなかった。

十時。わたしは三本の竿先を見ていた。竿先は、止まった計器の針のように動かなかった。鍋の表面には、茶色い膜が張っていた。風も波もないのに、膜は少しずつ桟橋の外へ流れ出していた。川面に、茶色い丸いものが一つ浮かんでいた。大きなおわんを伏せたような形だった。土手の虫の背中と、同じ形をしていた。

十時十四分、久住さんの竿が一度だけ引いた。強い当たりだった。竿は大きくしなり、糸が鳴った。彼はリールを巻いた。わたしたちは懐中電灯を水面に向けた。上がってきたものは、茶色いふたのようなものをかぶっていた。その下に何があるのかは、見えなかった。久住さんは、それを桟橋に上げた。わたしは、それが何だったかを書かない。書けるほどには、見えなかった。

次に懐中電灯を向けたとき、久住さんの頭から胸部までを、茶色い殻が覆っていた。つやがあり、湯気が立っていた。伏せたおわんのような、大きなヘルメットだった。顔は見えない。目も口も、どこにあるのか分からない。手を近づけると、体温より少し高かった。煮つめた玉ねぎと、潮の匂いがした。殻の内側から声がした。でもそれは言葉ではなく、鍋が煮立つ音だった。ぷつ、ぷつ、と。

戸賀くんは声を上げて後ずさった。苅田さんだけは動かなかった。「久住くん、どうした。釣れたか」。彼には、殻が見えていなかった。ルーは中身を隠さないと知っている人には、かぶさった殻が見えない。苅田さんの目には、久住さんはいつもの久住さんのままだった。だから、助ける理由がどこにもなかった。わたしが「頭に何かかぶっています」と言うと、苅田さんは帳面を見たまま答えた。「貸し竿は一人一本、返却は十一時までです」。

わたしは手帳を開き、殻の形を写そうとした。書いたばかりの字の上に、茶色いしみが広がった。しみは、わたしの字を一行ずつ覆っていった。三行目で、記録者の欄にとどきかけた。わたしは手帳を閉じた。開き直すと、しみは消えていた。でも、さっき書いた三行は、何が書いてあったのか、もう読めなかった。

わたしは桟橋に座り、殻に尋ねた。「何と呼ばれたいですか」。ぷつ、と一度だけ音がした。答えは書かなかった。そのかわり、久住さんが今夜したことを、順番に声に出して読み上げた。八時に来た。竿を借りた。ハゼを煮た。読み上げているあいだだけ、殻の表面が少し薄くなり、内側に人の鼻の形が浮かんだ。読み上げをやめると、また茶色く濁った。わたしがしたのは、それだけだ。

十一時。返却の時刻だった。久住さんは立ち上がり、竿を苅田さんに返した。苅田さんは帳面に「返却済み」と書き、礼を言った。それから久住さんは、桟橋の端から川へ歩いて入った。水音はしなかった。殻だけが川面に浮き、伏せたおわんの形のまま、河口のほうへ流れていった。ほかの二人は鍋の火を消していて、そちらを見ていなかった。わたしは、殻が闇に入って見えなくなるまで見届けた。

翌朝、「カレールー」の投稿は八分の一に減った。語は薄れた。けれど、なくなってはいない。久住さんは下宿に帰っていない。大学の名簿には、彼の名前がまだある。それなのに、彼の顔を思い出せる人がいない。友人たちは口をそろえて言う。「顔は、なんというか、茶色っぽかった」。

土手の草むらでは、あの夜から、胸部にヘルメットを背負った虫が増えている。ヨコバイの仲間だと誰もが言う。でも、どの虫の背中の盛り上がりも、伏せたおわんの形をしている。とげのふりをしている虫は、もう一匹もいない。

受理票は翌日の午後二時に決裁され、印が三つ押された。釣具店の帳面の十月十一日の行は、今も「三名・九匹」のままだ。

河口の砂州に打ち上げられていた、まだ名前のない白い貝殻を、子どもが一つ拾って帰った。

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題材の着想: ウィキペディアの記事「ツノゼミ科」(ウィキペディア日本語版 / CC BY-SA)。本文は当サイトの創作で、記事の文章は転載していません。

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