三連休中日の水族館、数に入らなかった客が水槽の…

三連休中日の水族館、数に入らなかった客が水槽の底に立つ

語現鴇江市三連休中日水族館ノーカン

「中日はノーカンだから、何回入っても一回なんです」

十月十一日の朝、鴇江臨海水族館の入口で、高校生の志村くんは笑いながら言った。年間パスを、改札の読み取り機に三度かざした。一度目、ピッと鳴った。二度目も、ピッと鳴った。三度目も、ピッと鳴った。それなのに、入館者数の表示は一つも増えなかった。

この件は、朝十時すぎに T-20261011-01 として受理された。前の晩から「三連休中日」を含む投稿が、鴇江市内でふだんの五倍に増えていた。多くは同じ一言で終わっていた。「中日だからノーカン」。食べすぎても、使いすぎても、さぼっても、中日なら数に入らない。そういう冗談だった。

わたしは入口の横で、投稿した人たちに話を聞いた。一人目は「真ん中の日は、どこにも数えられない日」と言った。二人目は「中日にしたことは、記録から抜ける」と言った。三人目は「中日に会った人は、あとで数に入っていない」と言った。三人とも、同じ形を思い浮かべていた。始まりと終わりだけがあって、真ん中が抜けた形だ。

本当は、中日はただの二日目だ。三連休の真ん中というだけで、ほかの日と同じように数えられる。入館係の波多野さんは、それをいちばんよく知っていた。毎朝、手で押す数取り器で客を数え、閉館後に改札の数と合わせる。二十年間、一度もずれたことがないそうだ。

順路の最初は、南極の展示だった。小さな水槽の横に、古い観測隊の写真パネルがある。氷の島の上陸地点に、三本の竹竿が立っている写真だ。解説板には、越冬隊は毎朝全員の名前を呼び、数を確かめてから外へ出た、と書かれていた。わたしはその前で、展示室にいる人を数えた。一度目は十一人。二度目も十一人。でも、ガラスに映る人影は九つしかなかった。

十一時の給餌時間に、大水槽の前に人が集まった。そのとき、わたしは見た。魚の群れの奥を、白く長いものが泳いでいた。頭と尾びれはある。でも、そのあいだの胴が無い。胴があるはずの場所は、水と同じ色に透けていた。頭と尾だけが、見えない糸でつながったように、同じ速さで進んでいた。

それがガラスの前を通るたび、客の映り込みが一つ消えた。一人目は、ベビーカーを押す父親だった。二人目は、売店の袋を下げた女の人だった。三人目は、志村くんだった。消えた三人は、もうガラスのこちら側にいなかった。水槽の中、底の砂の上に立っていた。砂には竹竿が一本、まっすぐ刺さっていた。水族館の誰も、そんなものを置いた覚えはなかった。三人は、そこが上陸地点であるかのように、竹竿のまわりに並んでいた。

志村くんがこちらを向いた。胸からおなかまでが、透けていた。肩のすぐ下に、腰がある。そのあいだから、向こうを泳ぐ魚の銀色が見えた。口が動いた。でも、泡しか出なかった。泡は三つずつのぼった。一つ、二つ、三つ。また一つ、二つ、三つ。ガラスに手を当てると、冷たいはずのガラスがぬるかった。かすかに、潮と鉄の匂いがした。

「お客さまは、全員こちらにいらっしゃいます」

波多野さんは、数取り器を見せてそう言った。彼女には、水槽の中の三人が見えなかった。中日も一日だと知っている人には、数から抜けた人が見えない。正しく数えるほど、抜けた人は初めからいなかったことになる。数取り器と改札の数は、今日もぴたりと合っていた。合っているのに、もぎった半券の束だけが三枚多かった。

わたしはガラスに近づいた。頭と尾だけのそれが、ゆっくり向きを変えた。透けた胴が、わたしの真正面で止まった。ガラスに映るわたしの顔が、目から下だけ薄くなった。足もとから冷えが上がってきた。わたしは自分を数えた。一人。もう一度数えた。一人。三度目で、指が止まった。わたしは手帳に、今日の日付をもう一度書いた。映り込みは戻った。なぜ戻ったのかは、分からない。

わたしは水槽の前に座り、それに尋ねた。「何と呼ばれたいですか」。泡が三つ、のぼった。答えは書かなかった。そのかわり、水槽の中の三人の服の色を、一時間ごとに声に出して読み上げた。一度目は三人とも顔を上げた。二度目は二人が上げた。三度目は、誰も上げなかった。読み上げているあいだだけ、三人の輪郭は少し濃くなった。わたしにできるのは、それだけだった。

夕方、父親と袋の女の人は、出口の改札の外に立っていた。いつ出たのか、本人たちも覚えていなかった。志村くんだけが、戻らなかった。閉館の音楽が流れ、大水槽の照明が一列ずつ消えた。一列目が消えた。二列目が消えた。三列目が消えた。ほかの職員は、もう出口のほうを向いていた。最後の青い光の中で、白い頭と尾が竹竿のまわりを一周するのを、わたしは数え終わるまで見届けた。暗くなったあと、砂の上には何も見えなかった。

翌日のスポーツの日、「中日」の投稿は七分の一に減った。それは薄くなった。でも、消えてはいない。大水槽の水位は、あの日から指一本ぶん高いままだ。志村くんは家に帰っていない。それなのに、彼のクラスの出席簿は三十四人で、数がきちんと合っている。三十五人いたはずだと言っても、誰も数え直さない。

南極の展示の写真では、上陸地点の竹竿は三本だった。十一日に見たときも、三本だった。けさ数えると、四本あった。一本だけ、ほかより少し細い。もう一度数えた。四本。三度目は、数え終わる前に照明が落ちた。

防波堤の先の、誰も行かない古い灯台のそばで、きのうまで無かった小さな灯りが一つ、ともっていた。

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題材の着想: ウィキペディアの記事「西オングル島」(ウィキペディア日本語版 / CC BY-SA)。本文は当サイトの創作で、記事の文章は転載していません。

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