古書の日に前の持ち主を探した人、本の背の段に座らされる
「職種、古書整理。経験不問」。桐生課長が、わたしの書いた紙を声に出して読んだ。十月四日の夕方だった。課長は一か所だけ直せと言った。『その他』の欄だ。そこは、まだ空いていた。
職種。古書整理の臨時職員、一名。業務内容。鴇江市末広町の古書店一軒で、本の背に生えたものを棚から外す。勤務時間。交代制で、朝の八時から暗くなるまで。待遇。要相談。手当は別に付く。応募方法。語彙管理局第四課まで、電話か手紙で。面接地。末広商店街の空き店舗。応募締切。十月七日。
備考。十月一日から、「古書の日」という語の使われ方が変わった。回数は普段の九倍になった。写真つきの投稿がほとんどだった。写真は、どれも前の持ち主の鉛筆の線が残る古本だった。線の横に、同じ説明文が付いていた。「前の持ち主は、まだこの中にいる」。
わたしは投稿した十一人に電話をかけた。十一人とも同じことを言った。「古書の日は、前の持ち主が本の中に残っている日でしょう」。線を引いた人が、本の中からその線を読んでくれる。だから古書の日には、線のある本を買う。そう信じていた。記念日の本当の意味は、古い本に親しむ日、というだけだ。本屋の組合が決めた日で、販促の日に近い。でも、十一人の誰もそれを知らなかった。知らないまま、同じ像を持っていた。
十一人のうち四人は、同じ店で本を買っていた。末広町の古書店だ。店は九月の末に閉まっていた。四人は、閉まる前の最後の週に、線のある本を選んで買っていた。「線があるほうが、前の人がいる気がして」。三十代の女性はそう言った。彼女は買った本を、まだ開いていなかった。開いたら、前の人が出ていってしまう気がしたからだ。わたしはその言い方を、そのまま書き取った。
その他。本の背に、茶色い段が生えています。きのこの仲間の多孔菌に形が似ています。棚のように横へ張り出し、さわると体温より少し高い。段は本を開かなくても、前の持ち主の下線を声に出して読みます。一冊に一段。読まれた線は、紙から消えます。段に手を置かないでください。段に腰を下ろさないでください。段、という呼び名は鴇江市だけの地方名だと、十一人は言いました。図鑑で似たきのこを調べましたが、どれも別種でした。
応募は一人だけだった。十月五日の朝、面接地に来たのは、その古書店の元店主だった。七十代の男性で、声が大きかった。「あれは本屋が決めた、本を売るための日ですよ」。彼は記念日の正しい意味を知っていた。笑いながら、そう説明してくれた。十二人の中で、正しかったのは彼だけだ。だから彼だけが、段の声を聞き取れなかった。段が読んでいるのは、彼の店の本に残った線だった。彼は二十年のあいだ、その線を商品のきずとして消しゴムで消してきた人だった。
面接のあと、二人で店に入った。段は三百十二冊に出ていた。乾いた紙がめくれる音が、棚の奥から続いた。古い糊のにおいがした。声は低くて、ひとつひとつが短かった。「ここが大事」。「わからない」。「母に」。全部、誰かの下線だった。元店主は、いつもの癖で一番下の段に腰を下ろした。立ち上がろうとして、立てなかった。段は彼を離さなかった。彼の膝から下が、茶色く横へ張り出した。わたしが見ている前で、彼は棚の一部になった。彼の口が、自分が消したはずの線を読み始めた。
わたしは退治しない。できないからだ。隣には座らず、しゃがんで聞いた。「何と呼ばれたいですか」。段は答えなかった。元店主も答えなかった。答えのかわりに、段は、彼が二十年前に消した線を読んだ。短い線だった。わたしはそれを書き取った。この週から、わたしの記録は短くなった。線が短いからだ。でも理由はそれだけではない気がする。
十月六日、本を買った四人が店の前に来た。段のことは、もう知っていた。四人は中に入らなかった。ガラス越しに、一番下の段を見ていた。「あの人、前の持ち主じゃないよね」。女性が言った。そのとおりだ。彼は本を売った側で、線を消した側だ。でも段は、彼を離さない。前の持ち主を探していた人たちは、前の持ち主ではない人を、本の中に見つけてしまった。四人は本を店の前に置いて帰った。線を読んでほしくなくなったからだ。
十月八日、投稿は減った。古書月間はまだ続いていたが、線の写真はもう出なかった。段は乾いて、紙のように薄くなった。声も小さくなった。でも、消えなかった。元店主は、まだ一番下の段に座っている。店は閉めた。看板は外さなかった。外せば、彼を知る人がいなくなるからだ。
記録。T-20261004-02。段、三百十二。戻った人、無し。消えた線、数えきれず。
あなたがこの店の棚を外す番になったら、素手でさわらないでほしい。段は、人の背中と同じ温度をしている。手を置くと、下から、紙をめくる音が返ってくる。
老松さんが帳簿の端に一文字だけ書いていったが、わたしには読めなかった。
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題材の着想: ウィキペディアの記事「コフキサルノコシカケ」(ウィキペディア日本語版 / CC BY-SA)。本文は当サイトの創作で、記事の文章は転載していません。
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