招き猫の日と、お礼を取り立てに来る白い手

招き猫の日と、お礼を取り立てに来る白い手

語現鴇江市招き猫の日お礼駅

「お礼は、ちゃんと置いた?」改札の横で、女子高生がもう一人に聞いていた。九月の終わりの朝だった。鴇江駅の切符売り場の窓口には、小さな皿がいくつも並んでいた。十円玉。飴。四つに折ったお札。皿の奥には白い陶器の招き猫が一つ、右手を耳の高さまで上げていた。

「お礼は、ちゃんと置いた?」売店の前でも、同じ言葉を聞いた。「お礼は、ちゃんと置いた?」ホームの端でも、誰かがひとりごとのように言っていた。

通報は駅から来た。鴇江駅は、末広商店街の北にある小さな駅だ。ホームの柱には駅番号の札がある。その下に、副駅名として「末広商店街 最寄駅」と書いてある。前の週から、「招き猫の日」と「お礼」を並べた書き込みが、市内だけで目に見えて増えていた。灯番号は二十九日の朝の一番目。——書き直す。受理したのは、二十八日の夜だった。番号の日付は、一日ずれている。

わたしは駅の近くで話を聞いて回った。みんな、同じ順番で同じ話をした。「招き猫は、一年ぶんの福を先に招いてくれてるの。だから今日は集金の日。お礼を置かないと、招いた分を取りに来るんだよ」売店の女性も、塾帰りの中学生も、ほとんど同じ言い方だった。置き方にも作法があった。お礼は皿に置く。置く前に名乗る。置いたら振り返らない。駅前の掲示板には言祝会のビラまで貼られていて、「招福の御使い、来たる」と書いてあった。

ほんとうは、そんな決まりはない。九月二十九日は「く・ふ・く」、つまり「来る福」の語呂合わせで、福が来ることを願う日だ。招き猫はただ手招きしているだけで、代金など取らない。でも、町が同じ像を結んだのは、集金の話のほうだった。

駅員の沼田さんだけは違った。彼は鉄道が好きで、全国の駅の電報略号をそらで言える人だった。電報略号とは、昔の電報で駅の名前を短く書くための、二文字ほどの符号だ。彼はそれを、わたしに楽しそうに教えてくれた。そして招き猫の日のことも、正しく教えてくれた。「ただの語呂合わせですよ。お礼なんて、誰も取りに来ません」。彼は窓口の皿を片づけようとして、お客さんに止められていた。だから彼は、自分の皿だけは置かなかった。

夕方、快速が通り過ぎたあとだった。ホームの灯りが、ひとつずつ黄色くなった。そのとき、それが来た。膝くらいの高さの、白い猫の形をしたものだ。陶器のようにつるりとしていた。歩くたびに、こつ、こつ、と皿を指で叩くような音がした。右手を上げたまま、窓口の皿を一枚ずつ見て回る。お礼のある皿の前では、深く頭を下げた。「本日は、ありがとうございました」。次の皿でも、同じように下げた。「本日は、ありがとうございました」。声は小さくて、とても丁寧だった。子どもの声にも、年寄りの声にも聞こえた。

窓口の奥に、皿のない場所がひとつだけあった。沼田さんの席だ。白いものは、そこで止まった。「お礼が、ございませんね」。沼田さんは笑った。「きみは語呂合わせから出てきたんだよ。代金なんて、はじめから無いんだ」。正しい。何ひとつ間違っていない。けれど、正しいことは、ここでは何の役にも立たなかった。白いものは、ていねいに頭を下げた。「それでは、お手で頂戴いたします」。

沼田さんの右手が、ゆっくり上がった。本人は下ろそうとしていた。肩が震え、歯が鳴っていた。それでも手は耳の高さで止まった。指がそろって、くい、と曲がった。手招きの形だった。袖口から見える肌が、白く、つやのある色に変わっていく。わたしは思わずその手首に触れた。冷たかった。——訂正する。冷たくはなかった。体温より少し高い、焼きあがったばかりの器のような熱だった。

白いものは、帳面のようなものを開いて何か書いた。のぞくと、沼田さんの名前はどこにもなかった。かわりに、カタカナが二文字だけ書いてあった。まるで電報略号のような、短い符号だった。それから、白いものはわたしを見上げた。「お客さまも、お名前を」。作法では、名乗ってから置く。わたしは皿を持っていなかった。足が一歩、勝手に前へ出た。もう一歩出たら、わたしも二文字にされる。それだけは、はっきり分かった。

わたしは膝をついて、目の高さを合わせた。そして謝った。「ごめんなさい。あなたを、取り立てる者にしてしまって。そういう話にしたのは、わたしたちです」。白いものは首をかしげた。怒っているようには見えなかった。悪意がないのだ。決められた作法を、決められたとおりにしているだけだった。「何と呼ばれたいですか」とわたしは聞いた。白いものは小さな声で答えた。その答えは、ここには書かない。わたしは財布から十円玉を一枚出して、床に置いた。白いものは、また深く頭を下げた。「本日は、ありがとうございました」。わたしの足は、それで止まった。沼田さんの手は、止まらなかった。

十月に入ると、「招き猫の日」という言い方は書き込みから消えた。白いものも、夕方のホームには来なくなった。ただ、窓口の奥の棚に、陶器の招き猫が一つ増えていた。誰も、置いた覚えがないという。

沼田さんは、今も窓口に座っている。右手は耳の高さのまま、指はそろって曲がったままだ。話しかけると、にこりと笑う。でも、もう声は出ない。電報略号の話も、二度としない。お客さんは彼を見ると、なぜか小銭を置いていく。胸の名札には、あのカタカナの二文字だけが残っている。

帰り道、末広商店街の角で、小さな男の子が祖母に「お礼は、ちゃんと言った?」と聞かれていた。空は晴れていた。——いや、薄い雲が一枚、かかっていた。

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題材の着想: ウィキペディアの記事「手稲駅」(ウィキペディア日本語版 / CC BY-SA)。本文は当サイトの創作で、記事の文章は転載していません。

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