応募完了、処分場の門に同じ作業着の係が半券を取りに来る
ガス抜きの管が、しゅう、と鳴っていた。鴇江市の西の川沿いにある、廃棄物処分場の門の前だ。埋め立てた土の下からメタンガスを逃がすために、白い管が何十本も立っている。朝の七時二十分。空は曇っていて、川のほうから冷たい風が来た。門の向こうに、セメント工場の灰色のサイロが見える。圭吾さんはそこで働いている。二十三歳だと、姉の真帆さんが言った。彼は紺の作業着のまま門の前に立ち、スマートフォンの画面を何度も見ていた。
ゆうべから、ある四文字が市内で急に増えていた。増え方は、ふつうの流行の三倍ほど速かった。しかも話す人たちが、みんな同じ絵を持っていた。だからわたしが呼ばれた。
ここで、時間を一度だけ戻して書く。折り返すのは、この一回きりにする。
十月十五日の朝、七時四十分。圭吾さんは工場の休憩所で、商店会の秋の抽選会に応募した。景品は商品券だった。画面には、応募完了と出た。その下に受付時刻があった。〇七時四十分。その画面の文を書いたのは、真帆さんだ。彼女は商店会の事務所で働いている。
夕方、わたしは川沿いの食堂で圭吾さんと向かい合った。彼は笑いながら話した。応募完了って、応募が済んだって意味じゃないんですよ。応募したやつが完了する、って意味なんです。受付時刻のちょうど一日あとに、係が来る。自分と同じ服を着た係です。そいつが半券をちぎったら、こっちはそこで終わり。固まって、もう動かない。
同じ話を、わたしはその夜ほかに九人から聞いた。コンビニの店員も、塾帰りの中学生も、言い方まで同じだった。同じ服。半券。一日あと。誰が最初に言い出したのかは、分からなかった。食堂の壁の時計は、五分進んでいた。
真帆さんは何度も首を振った。応募完了は、受け付けました、という意味です。抽選は月末です。わたしがその文を書きました。彼女の説明は正しかった。正しいので、誰も聞かなかった。
夜、圭吾さんは台所のテーブルに置き手紙を残した。明日七時四十分、処分場の門で待ち合わせ。姉ちゃんは来なくていい。書いたことを、彼は朝には覚えていなかった。でも字は彼の字だった。真帆さんはその紙を写真に撮って、わたしに送った。写真の下の余白は、白いままだった。
ここで折り返しは終わる。数えて、一回。時間は門の前の、七時二十分に戻る。
七時三十八分。川沿いの道を、誰かが歩いてきた。紺の作業着を着ていた。胸の名札も、袖の油の汚れも、圭吾さんと同じだった。同じ作業着の、同じ場所に、同じ汚れがあった。顔だけが、のっぺりと灰色だった。右手に、ちぎる前の半券を一枚持っていた。歩くたびに、乾いたセメントの粉の匂いがした。ガス抜きの管が、また鳴った。
真帆さんは門の前で、弟の腕をつかんでいた。係は、彼女の目の前を通った。真帆さんには何も見えていなかった。寒い、とだけ言った。そして、受け付けただけなんです、とまた言った。言うたびに、彼女の指は弟の腕から少しずつ外れた。力が入らない、と彼女は言った。
わたしは圭吾さんの名前を呼びつづけた。名前を呼ばれているあいだ、人はたいてい止まらない。それで一日を少しでも先へ延ばせるはずだった。でも七時四十分、係は彼の前で止まった。半券を、ぴりっとちぎった。間に合わなかった。
圭吾さんの指先が、まず白っぽい灰色になった。乾いたセメントの色だ。色は手首へ、肘へ、首へとのぼった。彼は何か言いかけて、口を開けた。その口のまま、止まった。まばたきも止まった。触ると、まだ体温より少し温かかった。それから、ゆっくり冷えた。門の横の自動販売機が、がこん、と缶を一本落とした。誰も買っていなかった。
わたしは係に、呼ばれたい名前を聞いた。係は答えた。その答えは、ここには書かない。かわりに係は、ちぎった半券の片方をわたしに差し出した。わたしは受け取らなかった。係はわたしの服を、上から下までゆっくり見た。ポケットの中で、わたしのスマートフォンが一度だけ震えた。画面に、応募完了と出ていた。わたしは何にも応募していない。受付時刻は、〇七時四十一分だった。
昼までに、四文字は町からほとんど消えた。係は川沿いの道を戻っていった。半分ほど歩いたところで薄くなり、見えなくなった。消えたのではない。見えなくなっただけだ。
圭吾さんは戻らなかった。灰色のまま、廃棄物処分場の門の横に立っている。口は開いたままで、誰にも動かせない。触ると、セメントの冷たさがする。足もとには、ちぎられた半券が一枚落ちていた。抽選会はスマートフォンだけの応募で、紙の半券は一枚も刷られていない。それなのに日付の欄には、十月十七日と印刷されていた。ガス抜きの管は、今日もメタンガスを逃がしている。
灯番号はT-20261016-01。端末の受理日の欄だけが、なぜか一日先の十七日になっていた。直さなかった。わたしの記録は三行で終わった。スマートフォンの画面は、まだ消していない。
帰りの橋から見ると、誰もいない川原の釣り小屋に、灯りが一つ増えていた。
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題材の着想: ウィキペディアの記事「アハンガラン」(ウィキペディア日本語版 / CC BY-SA)。本文は当サイトの創作で、記事の文章は転載していません。
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