トラックの日の夜、荷台に載せた栗はもう選ばれて…

トラックの日の夜、荷台に載せた栗はもう選ばれていた

語現鴇江市トラックの日栗

「その栗、どっちのだ」

筧さんの声は、夜の農道によく通った。鴇江市の北、栗山の中腹にある選果場の前だ。夜の九時。白い軽トラックが一台、ライトを消して止まっていた。荷台には麻袋が三つ。そのそばの砂利の上に、栗が一つだけ転がっていた。握りこぶしほどもある、大果の栗だった。

「荷台に載せたら、もう決まりですよ」と、大学生の柘植くんが言った。収穫の手伝いに来ている青年だ。「今日はトラックの日だから。荷台に載ったものは、持ち帰るものなんです。みんなそう書いてます」

後日わかったことを、先に書いておく。その夜までの三日間で、市内の投稿に「トラックの日」という語が出る数は、ふだんの十一倍になっていた。多くに同じ写真が付いていた。ライトを消した白い軽トラと、荷台の麻袋。そして同じ一文が添えられていた。「荷台に載せたら、もう選ばれたもの」。この記録の受理は、その夜の十時過ぎだった。

わたしは選果場の人たちに話を聞いた。誤解の輪郭を確かめるためだ。若い人ほど、同じことを言った。荷台は決める場所だ。載せた時点で、それは持ち帰るものになる。見分けは載せる前にすませる。載せてから迷うのは縁起が悪い。けれど筧さんは首を振った。「荷台は仮置きだ。灯りの下で分けるまでは、誰のものでもない」。この山の和栗は銀寄が多い。粒が大きいので、よその畑の栗と紛れやすい。だから昔から、まず何でも荷台に載せて、あとで分ける。それが正しい段取りだった。つまり、広まった像はちょうど逆さまだった。

柘植くんは、転がっていた大果の栗を拾った。投稿用に写真を撮りたいと言う。彼は荷台のあおりに腰かけ、栗を麻袋の上に置いた。その瞬間、軽トラのエンジンがかかった。運転席には誰もいない。キーも刺さっていない。排気の匂いはしなかった。かわりに、焼いた栗の皮のような甘い匂いが流れてきた。

筧さんが、栗を取り戻そうと荷台へ手を伸ばした。でも、指が閉じなかった。栗はそこにあるのに、つかめない。筧さんの手は、栗の少し手前で何度も空を握った。荷台は仮置きだと知っている人には、荷台の上のものに触れる資格がない。この語現体の決まりは、そういう形をしていた。柘植くんには、その様子が見えていなかった。「筧さん、何してるんですか」と笑っていた。

その笑い声が、途中で変わった。ころころと、固いものが板の上を転がる音になった。わたしは懐中電灯を向けた。柘植くんの膝から下が、麻袋の布目になっていた。粗い茶色の織り目が、ももへ、腰へと上ってくる。本人は気づかず、スマホを構えたままだった。画面には、荷台に座る自分が写っていた。写真の中の彼は、もう一つの袋だった。

わたしは荷台に近づいた。記録のために、手帳をあおりの縁に置いた。すると荷台の鉄板が、人の肌ほどの温かさで手帳を吸い寄せた。表紙に、荷札が一枚貼りついていた。名前の欄は空いているはずだった。そこに、わたしの名前の最初の一文字が、細い字で書かれかけていた。わたしは手帳ごと手を引いた。あと一文字ぶん遅ければどうなったか。それは、わからない。

わたしは逃げなかった。退ける方法は、ない。わたしにできるのは、聞くことと、書くことだけだ。筧さんの隣に立って、荷台に話しかけた。「何と呼ばれたいですか」。麻袋が、息をするようにふくらんだ。答えは返ってきた。それは記録しない。かわりに、仮の名を書いた。荷守(にもり)。載せられたものを手放さず、どこかへ運ぶもの。筧さんは、届かない手を伸ばしたまま、何度もつぶやいていた。「分けるのは、あとでいいんだ。あとで、いいんだ」

午前四時、軽トラは動き出した。ライトをつけないまま、農道を山の奥へ上っていく。荷台の麻袋は四つになっていた。筧さんは目を逸らした。選果場の人たちも、みんな下を向いた。最後まで見ていたのは、わたしだけだった。テールランプのない車体が、栗林の暗がりに溶けるところまで。

柘植くんは戻らなかった。彼の携帯は、山の上の電波の届かない場所で切れていた。翌週には「トラックの日」の投稿は十分の一以下に減り、荷守の気配も薄れた。でも、消えてはいない。あの農道の路肩には、今もタイヤの跡が二本残っている。雨が降っても、そこだけ乾いている。手を当てると、ほんの少し温かい。

説明のつく側は、こうまとめられる。同じ写真と同じ一文が、短い間に大勢へ広まった。だから「載せたら決まる荷台」が実体を持った。正しい段取りを知る筧さんほど、荷台に手が届かなかった。説明のつかない側も残る。柘植くんが拾った大果の栗は、その山のどの木の実とも合わなかった。選果場の誰も、あんな粒を見たことがなかった。あの栗は、誰の荷台から転がってきたのか。ここまでの分析は、その一点でぜんぶ意味を失う。

駅前の花屋の店先で、まだ名前のない色の菊が、一鉢だけ売れ残っていた。

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題材の着想: ウィキペディアの記事「丹波栗」(ウィキペディア日本語版 / CC BY-SA)。本文は当サイトの創作で、記事の文章は転載していません。

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