統計の日、辞書のお籠もりで眠った人が重複として…

統計の日、辞書のお籠もりで眠った人が重複として除かれる

語現鴇江市統計の日辞書

「見出し語は、あと三つです」。十月十七日の夜十一時、鴇江市の北の丘にある古い宿泊所で、尾形さんが言った。小さな国語辞典の改訂が、追い込みに入っていた。校了は翌朝の九時だ。編集部の六人は、ここで三晩のお籠もりをしていた。

受理票によれば、受理は同じ日の午後九時だった。「統計の日」の投稿は、その日だけで四千二百件あった。そのうち千三百件ほどが、同じ像を連れていた。元は市役所の掲示の写真だという。そこには「重複は除いて集計します」と書いてあった。

午後十一時半、わたしは食堂の長机で聞き取りを始めた。辞書の人たちに合わせて、像を語釈の形で書くことにした。用例カードの裏に書いた最初の草稿は、こうだ。とうけいのひ【統計の日】十月十八日。町の人がすべて数え直される日。

午前零時すぎ、校正係の二人から話を聞いた。数え直しは夜のうちに来るそうだ。同じ人が二人と数えられたら、片方は除かれる。除かれるのは眠っている方だという。わたしは草稿を書き直した。二度目の語釈は、こうなった。眠っている者も数える。同じ者が二人いれば、眠っている方を除く。

編者の根津さんは、その草稿を読んで首を振った。「統計は、人の集まりを数で表すだけです。誰も除きません。重複を除くのは、表の上の話ですよ」。正しい。わたしも手帳にそう書いた。根津さんは、この辞書を三十年作ってきた。尾形さんはその下で十年、同じ字と同じ語釈の書き方を覚えた。二人の用例カードは、並べると見分けがつかなかった。

午前一時、校正係の二人は眠らないと決めた。尾形さんも膝を抱えて、壁に背をつけた。根津さんだけが、お籠もり部屋の布団に横になった。天井には、古いケシの花の彫り物がいくつも並んでいる。「数えられても困りません」と彼は言った。そして、すぐに寝息を立てた。

午前一時四十分、わたしは三度目の語釈を書いていた。根津さんの言ったとおりに書いた。統計。集団の性質を、数で表すこと。人を除く手続きは含まない。最後の一行を書いたとき、廊下で乾いた音がした。鉛筆の尻で、机を叩くような音だった。

襖の向こうから、それは入ってきた。背は鴨居に届くほどあった。体は、重ねた集計用紙でできていた。顔のところに、正の字が一つ書いてある。手には赤い鉛筆を持っていた。湿った紙と、削りかすの匂いがした。それは一人ずつ額を叩き、「ひとり」と数えた。声は、紙をめくる音に似ていた。

部屋の隅で、それはわたしの前にも止まった。額に鉛筆の先が当たった。冷たかった。「ひとり」。手帳を見ると、三度目の語釈が二行に増えていた。同じ字で、同じ行が二つある。わたしは一度しか書いていない。それはしばらく、わたしと手帳を見比べていた。それから、離れていった。

午前一時四十六分、それは根津さんの枕元に立った。まず根津さんの額を叩いた。次に、起きている尾形さんの額を叩いた。「ひとり。かさなり」。根津さんの寝顔が動いた。目尻のしわが伸びた。頬のほくろが消えた。鼻の形が変わった。数秒で、それは尾形さんの顔になった。

尾形さんが叫んだ。「統計は人を除かない」。根津さんに教わった、正しい語釈だった。それは聞いていなかった。根津さんの体は、一枚のカードのように薄くなった。布団が平らにへこんだ。あとには、まだ温かい敷布と、鉛筆の芯の匂いだけが残った。

午前一時五十分、尾形さんは自分の顔を両手でさわっていた。「根津さんの顔が、ぼくの顔でした」と彼は言った。指の先が、まだ震えていた。校正係の一人が、根津さんの眼鏡を拾った。眼鏡は、紙のように二つに折れ曲がっていた。レンズには、赤い線が一本だけ引かれていた。

午前二時、わたしはそれの前に座った。退治はしない。止める手順は、どの書式にも載っていない。わたしは、何と呼ばれたいかを尋ねた。答えはあった。けれど、ここには書かない。それは最後に一度だけ言った。「わたしは、数え終わるまで帰れません」。

午前四時、それは集計用紙を一枚ずつ落としながら薄くなった。消えるまで見ていたのは、わたしだけだった。校正係の二人は、壁のほうを向いていた。尾形さんは、平らな布団から目を離せずにいた。

午前五時、わたしは手帳の二行を見直した。片方の行だけ、インクが少し新しかった。どちらがわたしの書いた行なのか、決められなかった。だから、二行とも消さずに残した。

翌朝、校了は予定どおり九時に出た。見出し語「統計」の語釈は、二度目の草稿の文で刷られていた。誰も直していないという。編集部の名簿に、根津さんの名前は無かった。三十年分の用例カードには、尾形さんの署名があった。尾形さんは今も、根津さんの字でしか書けない。根津さんは戻っていない。

あとで聞いたところによれば、投稿は四日で五分の一に減った。宿泊所の名簿では、入ったのは六人、出たのは五人だ。部屋に落ちていた集計用紙には、赤い字で「七」とあった。

帰りのバス停で、知らない人が空を見て「もずり日和だ」と言った。

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題材の着想: ウィキペディアの記事「アスクレピオスの聖地エピダウロス」(ウィキペディア日本語版 / CC BY-SA)。本文は当サイトの創作で、記事の文章は転載していません。

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