焼うどんの日、貯水池の水が鉄板の上で消えていく

焼うどんの日、貯水池の水が鉄板の上で消えていく

語現鴇江市焼うどんの日貯水池

「雨は、六時に止みました」。戸倉さんはそう言って、管理所の窓を指でたたいた。鴇江川の上流にある、貯水池の管理所だ。十月十四日の夕方だった。机の上には、紙皿の焼うどんが三つ並んでいた。上に、乾いた小さなエビが散らしてある。「イサダです。オキアミの仲間ですよ。鴇江の焼うどんは、これを載せるんです」。今日は焼うどんの日だから、と戸倉さんは笑った。

十八時十分。水位は、満水まであと七十センチ。昨日までの雨が、まだ山から集まってくる。所長の葛西さんは、画面の数字だけを見ていた。わたしがここにいる理由は、別の数字だった。町じゅうで、ある言い回しが急に増えていた。受理は昼。記録は、まだ二行しかない。

商店街の焼うどん祭りのポスターには、大きくこう書いてあった。「水気を飛ばせ」。麺の水気を飛ばして焼くとおいしい、という意味だったのだろう。でも、町の人に話を聞くと、絵が違った。焼うどんの日には、町の下で黒い鉄板が熱くなる。水という水が、ジュッと音を立てて消えていく。最後には、上に載っていたものが、イサダのようにカラカラに乾いて丸まる。八百屋の人も、バスの運転手も、同じ絵を話した。戸倉さんも、同じ絵を話した。「だから今日は、水のそばに行くなって、祖母に言われてきたんです」。そう言う彼は、今夜の点検の当番だった。書き直す。当番だったのではない。昼に、自分から当番を代わったのだ。

葛西さんは鼻で笑った。「焼うどんの日は、ただの記念日だよ。どこかの町の研究会が決めた日だ。鉄板なんか、どこにもない」。正しい。わたしも、そう知っている。葛西さんは港町の育ちだという。「子どものころはな、春のイサダの漁獲量で、町の一年が決まった。数字ひとつで、だ。ダムも同じだよ。数字を見ていれば、間違えない」。

十九時。満水まで、あと四十センチ。水位は上がっている。けれど、窓の外の水面から、白い湯気が立ちはじめた。夜の冷え込みのせいだ、と葛西さんは言った。戸倉さんは黙って、窓を見ていた。湯気の中から、かすかな音がした。ジュッ。ジュッ。ジュッ。熱い鉄板に、水を落としたときの音だ。湯気は、ソースと、焦げた海の匂いがした。

二十時三十分。満水まで、あと二十センチ。放流の判断は二十一時。下流の警報区域には、サイレンを鳴らす準備が始まった。葛西さんは「定刻で放流する」と決めた。戸倉さんは懐中電灯を持って、ゲートの点検に出た。わたしも、ついていった。

堤の上の点検通路は、足もとが金網になっている。その金網が、温かかった。いや、温かいではない。体温より、ずっと熱かった。水面を見下ろすと、黒かった。水の黒ではない。鉄の黒だった。貯水池の幅いっぱいに、平たい板が沈んでいる。訂正する。沈んでいるのではなかった。こちらへ、浮き上がってきていた。板が近づくたびに、水がジュッと鳴って消えた。

戸倉さんが手すりをつかんだ。「水気を飛ばせ」。彼は小さく言った。ポスターの言葉だった。「水気を飛ばせ、水気を飛ばせ」。止まらなかった。彼の手の甲から、汗の粒が湯気になって上がった。指が、きゅっと内側に曲がった。皮膚が薄い桃色になり、紙のように乾いていく。指先が丸まって、紙皿の上のイサダと同じ形になった。「熱い」と言おうとした声は、乾いた葉をこするような音にしかならなかった。

無線から、葛西さんの声がした。「水位、変化なし。何をしている、戻れ」。画面の上では、水は一滴も減っていなかった。彼の見ている数字は正しい。正しいから、彼には湯気も鉄板も見えない。そして、彼の声は湯気の音に負けて、戸倉さんの耳まで届かなかった。

わたしは手帳を開いて書いた。受理。像、確定。三行目を書こうとしたとき、インクが乾いた。ペン先から出たそばから、字が粉になって飛んだ。上の二行も、端から白く消えていった。唇が切れた。鉄板の熱が、わたしの膝の高さまで上がってきていた。わたしは金網に膝をついた。「何と呼ばれたいですか」。板の下で、油がはねるような音がした。答えは聞こえた。でも、ここには書かない。手帳には、わたしの付けた名だけが残った。干上がり板。

二十一時。葛西さんがゲートを開けた。サイレンが鳴った。でも、放流口から出てきたのは、水ではなかった。白い湯気と、乾いた細かい粉だった。十四分間、川には何も流れなかった。葛西さんは管理所から出てこなかった。最後まで堤の上で見ていたのは、わたしだけだった。

翌日、ポスターははがされ、あの言い回しは使われなくなった。湯気も、黒い板も、見えなくなった。戸倉さんは病院にいる。体は、もう熱くない。でも、水を飲んでも、のどを通る前に湯気になって消えてしまう。汗も、涙も出ない。丸まった指は、元に戻らない。彼は毎日、窓から貯水池の方角を見ている。点検通路の金網には、小さな桃色の殻が何百も貼りついていた。エビのような形だった。けれど、あの貯水池は真水だ。オキアミの仲間が、真水にいるはずがない。拭いても、翌朝には同じ数だけ戻っている。記録は、短くした。受理、像、顕、看取り。それだけだ。

帰り道、雨は止んでいた、いや、訂正する、止んでいたのではなく、まだ、降り出していなかっただけだった。

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題材の着想: ウィキペディアの記事「ツノナシオキアミ」(ウィキペディア日本語版 / CC BY-SA)。本文は当サイトの創作で、記事の文章は転載していません。

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