防犯と、いつも同じ数の巡回
「見えていますか」と、その人は言った。九月九日の午前二時、鴇江市の東の丘の上、展望の手すりの前である。わたしが答える前に、その人はもう一度言った。「わたしからは、見えているんです。ずっと」
午前二時十分、受理。届出は鴇江市防犯協会の巡回員。整理番号はT-20260909-01とした。以下は観察の記録である。測定項目は毎回同じにする。項目を増やすと、増やした者が数えられる側に回るからだ。
九月三日からの七日間で、市内の会話における「防犯」の使用が例年の九倍を超えた。きっかけは市の広報に載った一枚の写真で、そこから話が広がった。ただし使用の八割で、話し手は「犯罪を未然に防ぐ手立て」の話をしていなかった。「見られていれば、何も起きない」という言い方で使っていた。防ぐことではなく、見ていることのほうへ像が寄った。字義とのずれが、この語を「数える目」の形にした。
観察項目は四つである。丘へ上がる道の途中にある広い路肩、そこに面した展望の柵、柵の下の斜面、そして巡回簿の数字。九月三日から今日まで、最初の三項目に見た目の変化はない。柵の塗装は剥げたままで、斜面の草は倒れたままだ。変わったのは四つ目だけである。市が管理する見回り箇所は四十だ。ところが巡回簿には、七日間ずっと四十一と書かれている。書いた者はいずれも「数え間違いではない」と言う。
九月五日の欄には備考がある。「四十一番目、位置ずれ」。九月七日の欄にも同じ備考がある。九月八日の欄は空欄で、欠測と書かれていた。欠測の理由は書かれていない。書かなかった巡回員は、翌日から出てきていない。行方が分からないのではない。家にいる。ただ、丘の名前を言えなくなっている。
九月六日の観察で、四つ目の項目に別の性質が見つかった。巡回簿の四十一番目には、場所の欄がない。番号と時刻だけが書ける。書こうとしても、場所の欄に鉛筆が入らない。紙は破れず、線も引けない。三人が同じことを言った。そこだけ、紙ではなくなっている、と。
午前三時。巡回員は続けてこう語った。「わたしは十九年、この道を回っています。丘へ上がる道は、昔はドライブウェイと呼ばれていました。夜になると車が停まって、街の灯を見ている。そういう場所です。だから見回りに入っている。三日の夜、いつものように四十まで数えて、帰る前にもう一度だけ後ろを見ました。柵の端に、人の背丈のものが立っていました。近づくと、それはこちらを向いていました。顔はありません。ただ、向いている、ということだけが分かるんです。わたしはそこで四十一と書きました。書いてから、なぜ書いたのかが分からなくなりました。次の日も同じ場所に立っていました。その翌日は、少しだけ道の下でした。標高でいえば、たぶん十メートルほど下です。毎晩、少しずつ下りてくる。街のほうへ。声はしません。足音もしません。ただ、数えているのが分かる。わたしが四十まで数えるのと同じ速さで、向こうもこちらを数えている。それだけです」
午前三時四十分。早瀬の残滓計は、丘の上でだけ小さな揺れを示し続けた。七日間、値の幅は変わっていない。彼は「機器の癖です」と言った。古い記録では同じ揺れを目盛りで書いてあり、いまは比で書いてある。どちらが大きいのかは、もう誰にも比べられない。
午前四時。防犯協会の会長が丘に来て、正しいことを言った。見ているだけでは防げません、対策は物と人と手順です、と。言い終えた瞬間、彼の立っていた場所が巡回簿の四十一番目になった。次の夜からは、四十二である。正しく言える者ほど、先に数えられていく。柵の下の斜面には、その人の靴の形だけが残った。
局にできたのは、巡回簿の欄を増やさないことだけだった。増やせば、増えた分だけ本当になる。広報の写真は差し替えた。差し替えたことも公表しない。それは防いだのではなく、遅らせただけである。四十二が四十三になる夜を、わたしたちは丘の上で待つ。
桐生は、丘へ人を増やすなと言った。理由は言わなかった。見に行く者が増えれば、見ている側の数も増える。それだけのことだが、口に出すと数え方が確定する。確定した語は流行を終え、消えずに土地へ沈む。わたしたちは沈むまでの日数を測っているのであって、止め方を探しているのではない。
午前四時二十分。わたしは柵の前に立ち、いつものように尋ねた。何と呼ばれたいですか。答えは返らなかった。返らないことも記録には書かない。
雨は降っていない。訂正する。降っていなかった、と書くべきだった。柵の下の斜面で、灯りが一つだけ増えている。誰も見ていない場所である。まだ名前がない。
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題材の着想: ウィキペディアの記事「東山山頂公園」(ウィキペディア日本語版 / CC BY-SA)。本文は当サイトの創作で、記事の文章は転載していません。
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