二十四節気と、戻らない側の物置

二十四節気と、戻らない側の物置

語現体鴇江市二十四節気記録

九月七日の朝、市の北はずれにある燃料店へ受理票を持って行った。届出人は店主の男性で、七十代である。わたしは灯番号にT-20260907-01と書いた。受理票の職員番号の欄が、前に書いたものと一桁だけ違っていた。わたしは訂正しなかった。

節気に入って一日目だった。店の壁には手書きの表が貼ってある。二十四の枠があり、灯油の予約数が節気ごとに書き込まれている。四十年ぶんあるそうだ。この土地は冬が長い。だから店主は、季節を月ではなく節気で数える。冬までにあと何区切りある、という数え方である。

事務室には海水の水槽があった。店主はイソギンチャクを二株入れている。魚はその触手のあいだで眠る。刺されないのだと彼は言った。互いに得のある付き合いを、彼は相利共生と呼んでいた。水槽の中には決まった序列があって、大きい個体から順に餌に近づく。彼はそれを順位制と呼んでいた。四十年、崩れたことがないという。

同じ言い方を、彼は店にも使っていた。隣の米屋とは、こちらが配達の車を出し、向こうが客を回す。それも相利共生だと彼は言う。冬の配達には順番があって、独り暮らしの家から先に回る。それも順位制だと言った。言葉が水槽から店へ、店から町へ、同じ形で伸びていた。

茶を出してから、店主は話しはじめた。わたしは相槌だけを打った。

この夏、市の若い人たちが妙な言い方をするようになりましてね。テレビでも新聞でも、二十四節気という言葉をよく見ました。それ自体はいいんです。昔からある言葉ですから。ただ、使い方が変わってきました。節気に入ったからもう遅い、と言うんです。もう戻れない、と言うんです。境を、日付の目印ではなく、壁のことだと思っている。わたしは四十年これで商売をしていますから、そうではないと知っています。節気は太陽の位置を二十四に割った目盛りです。壁ではありません。前の日と次の日で、気温が急に変わるわけがない。ただ、みんながそう言うので、わたしは黙っていました。

若い人だけではありません。うちの客も言い出しました。もう節気が変わったから、今から頼んでも遅いでしょう、と。遅くありません。灯油は今日も明日も同じ値で入ります。そう言っても、通じないんです。通じないというより、聞いていない。みんなが同じ言い方をしているときは、そういうものです。

三日前の夕方です。裏の物置の戸を、内側から閉めました。灯油の空き缶を運び入れて、そのまま閉めただけです。翌朝、開けたら缶が無いんです。盗まれたのではありません。物置の中に、缶が入る場所そのものが無くなっていました。棚も床も、缶を置いていない形になっている。あれは向こう側へ行ったんだと思います。境をまたいだものは、前の側に戻る道が消える。それだけのことです。

昼のうちに、わたしは物置を見た。姿は無い。境をまたぐ動きにだけ、それは居る。またいだものは向こうで無事である。ただし、こちら側には戻る形が残らない。壊れるのでも消えるのでもなく、戻る道のほうが先に無くなる。

節気に入って二日目、早瀬の集計が届いた。市内での二十四節気という語の使用が、八月の下旬から例年の六倍を超えていた。そのうちの七割で、話し手は暦の話をしていなかった。もう手遅れだ、という意味で使っていた。字義は目盛りであり、像は壁である。ずれた分だけ像のほうが強い。九月下旬に言及が減れば、戻らない範囲は広がりを止めると予測が付いていた。予測であって、確認ではない。グラフの下の端には、いつもの小さな揺れが乗っていた。

店主はよく分かっている人だった。四十年ぶんの表がある。だから彼は、これを縁起でも祟りでも取り違えなかった。取り違えなかったので、市にも組合にも届けなかった。壁ではないと知っている人は、壁を壊してくれとは言えない。要求の言葉が無いのである。要求の無い届出は、局の手続きでは最も下に積まれる。何も知らない人なら、物置が呪われたと騒いだだろう。騒げば人が来る。正しく分かっている人のところには、誰も来ない。

節気に入って三日目、白河が測りに来た。物置の内寸を測ると、前日と同じである。ところが棚板の数が一枚少ない。前の写真には写っている。写真の側が間違っていることになる。白河は測り直し、それから測るのをやめた。数字が合わないのではなく、数字の意味のほうが変わっている、とわたしは書いた。

わたしは規定どおり、境の手前で尋ねた。何と呼ばれたいですか。返事はなかった。返事の代わりに、物置の戸の下の隙間だけが、一本ぶん細くなった。わたしは答えを記録しなかった。

できることは決まっている。店主には、冬のあいだ物置の戸を開けたままにしてもらうことにした。またがなければ、道は消えない。灯油はいつもの半分ずつ、二度に分けて入れる。手間は倍になる。それだけである。直す方法は無い。局にあるのは、進む速さを落とす手続きと、いつどこまで進んだかを書き残す欄だけである。物置に何を入れたかは、入れる前に紙へ書く。書いておけば、戻る形が消えたあとでも、そこに何があったかだけは残る。残しても取り戻せはしない。それでも書く欄があるのは、看取るためである。

帰りぎわ、店主は水槽の前に立っていた。序列は今日も崩れていなかった。冬までにあと五区切りある、と彼は言った。壁ではないと知っている人の数え方だった。

末広町の三丁目、誰も住んでいない棟の二階で、窓の灯りが一つ増えていた。

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題材の着想: ウィキペディアの記事「スパインチーク・アネモネフィッシュ」(ウィキペディア日本語版 / CC BY-SA)。本文は当サイトの創作で、記事の文章は転載していません。

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