黒の日と、埋められた余白

黒の日と、埋められた余白

語現鴇江市黒の日余白

鴇江市の川沿いには、河口まで続く自転車道がある。舗装は白っぽく、日陰が少ない。わたしはその中ほどの休憩所でバスを降りた。埃が乾いていて、靴の先がすぐ白くなった。

灯番号 T-20260906-02。受理は九月六日の午前十時二分。現場に着いたのは十一時過ぎだった。

統計は前の晩から出ていた。「黒の日」という語の市内使用が、三日で十九倍になっていた。閾の目安を超えている。増え方が速いだけなら、ただの記念日に過ぎない。問題は、使っている人たちの言い方が一つに揃っていたことだ。

休憩所には七人が待っていた。管理局の受理番号を見せると、全員が同じことを言った。今日は空白を残してはいけない日だ、と。

わたしは一人ずつ聞き取りをした。話を合わせるのを避けるため、順番に少し離れてもらった。

堤防の掲示板を管理している男性は、こう言った。黒の日は、白いまま残っているところが黒で埋まる日だ。だから朝のうちに、退色した看板を塗り直した。自転車道の距離表示だ。数字の周りの白い余白まで、わざわざ塗ったという。

コンビニの店員は、点検票の空欄を全部埋めたと言った。書くことがない欄には「なし」と書いた。書かないと埋まる、と聞いたからだ。

誰から聞いたのかを尋ねると、全員が別の人の名前を出した。輪になっていて、始まりがなかった。像はもう固まっている。黒の日は、空白を埋める日。彼らはそう共有していた。

本来の由来は違う。く(9)ろ(6)の語呂合わせで、黒く染める技術を広めるための日だ。空白とは何の関係もない。わたしは手帳にそう書いた。書きながら、この記録は今日の役には立たないだろうと思った。

十一時四十分から、誰も何も言わなくなった。待っている、という以外に説明のしようがない時間だった。水場の蛇口から、一定の間隔で水が落ちていた。数えたが、途中でやめた。

正午だった。影が一番短くなる時刻で、休憩所の屋根の下にもほとんど日陰はなかった。だから暗がりのせいだとは言えない。

自転車道の距離表示の看板に、白い余白が一列残っていた。塗り直しのときに刷毛が届かなかったところだ。その一列が、黒くなった。にじんだのではない。境目がまっすぐで、余白の形とぴったり同じだった。

同時に、待っていた高校生の宇佐美凪さんが、顔に手をやった。彼女は点検票の氏名欄だけを書かずに置いていた。自分の名前は後で書けばいいと思った、と後で聞いた。

彼女の顔の左半分が、黒い面になっていた。目のあたりまでが、紙の空欄と同じ形に切り取られて、そこだけ平らだった。鼻の凹凸も、まつげの影もない。明るい正午の光が当たっているのに、光を返さなかった。

わたしは近づいて、指の背で触れた。体温より少し高い。乾いた紙のような手ざわりだった。彼女は喋ることができた。ただ、自分の名前を言おうとすると、その二文字ぶんだけ音が抜けた。喉は動いているのに、そこだけ何も出てこない。

掲示板の男性が走ってきて、白い塗料の缶を彼女の顔に近づけた。塗り返そうとしたのだ。塗料は面の上を流れて、下に落ちた。何も変わらなかった。

そこに、伴野さんという人がいた。市内で黒染めを続けている職人で、この日の由来を正確に知っている数少ない一人だった。彼は朝からずっと、空欄を埋めるのは無意味だと言っていた。記念日の由来は染色の宣伝であって、空白とは関係がない。彼の言っていることは、すべて正しい。

だから彼は、自分の作業日誌の空欄を一つも埋めなかった。正午に、その日誌の空欄が全部黒くなった。彼の右手の甲も、日誌の欄と同じ長方形に平らになっていた。彼は自分の手を見て、これは説明がつく、と言った。それから何も言わなかった。

正しく分かっている人ほど、埋めない。埋めない人ほど、先に埋まる。恐らくこの順序に例外はなかった。

わたしにできたのは、退治ではない。空白を消すことでもない。空白に仮の名を書き入れることだった。点検票の空欄に「未記入」と書く。掲示板の余白に「余白」と書く。書けば、少なくともそこは空白ではなくなる。

わたしは休憩所の書類と掲示物を順に埋めていった。人の手が要るので、速くはない。三十分で、埋まる速度が落ちたのは確かだ。ただ、それだけだ。宇佐美さんの顔は戻らなかった。伴野さんの手も戻らなかった。間に合わなかったものを、間に合ったことにはできない。

わたしは黒い面に向かって、いつもの質問をした。何と呼ばれたいですか。答えはあった。記録には残さない。

宇佐美さんの聞き取りを続けた。彼女は自分の名前を言えない代わりに、指で書いてくれた。書き終えた紙の下半分が空いていたので、わたしがそこに「以下余白」と書いた。彼女は少し笑ったように見えた。左側は動かなかった。

夕方には、黒の日という語の使用が急に減った。記念日は一日で終わる。語が使われなくなると、くろたしは薄れた。薄れる、というのは正確ではない。面の縁がぼやけただけで、面そのものは残った。

翌朝、自転車道の看板を見に行った。黒い一列はそのままだった。白に戻ってはいない。県境の手前まで走って戻ってきた自転車の人が、看板を見て、最初からこういう表示だと思っていたと言った。恐らく来年には、誰もこの一列を余白だとは呼ばない。

帰りに、言祝会の配っている紙を一枚渡された。祭文が刷ってあった。読むと、受理と経過と所見の順で書かれていて、区切りの入れ方がわたしの記録と同じだった。わたしはその紙を折って鞄に入れた。

記録は以上。分析はここまでで、ここから先は分からない。埋まった面が体温より高い理由を、わたしはまだ一つも説明できていない。

余白。県境の手前の空き地に、今年も背の高い草が生えている。まだ名前のついていない種類だという。

この作品はフィクションです。実在の人物・団体・事件とは関係ありません。

題材の着想: ウィキペディアの記事「富山県道375号富山朝日自転車道線」(ウィキペディア日本語版 / CC BY-SA)。本文は当サイトの創作で、記事の文章は転載していません。

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