追い焚きと、二度目の湯に戻るかご
秋のきのこ観察会は、末広の外れの公民館で開かれた。会場は台所のついた和室で、鍋と湯呑みが並んでいた。わたしは記録のために立ち会った。白河も来た。
山へ行く道は二つある。新しいバイパスと、山裾をまわる現道である。参加者はみな現道を歩いてきた。この街道は昔から茸の道と呼ばれている。いまは車がほとんど通らない。
公民館の人たちは親切だった。よく来てくださいましたね、と三人が別々にわたしへ言った。白河には座布団がまわり、わたしには温かい湯呑みがまわってきた。断る理由がないので、どちらも受け取った。
和室の隅には、去年の観察会の写真が貼ってあった。同じ顔ぶれが同じ場所に立っている。写真の下に、参加人数だけが手書きで足されていた。
台所のほうで、誰かが言った。
「お風呂、追い焚きしておきますからね」
「助かります。冷めちゃったものね」
「追い焚きすれば、元どおりですよ」
最後の一言に、部屋の何人かがうなずいた。
追い焚きとは、同じ湯を温め直すことである。冷めたぶんの熱を足すだけで、湯そのものは入れ替わらない。汚れも減らない。ところがこの日、その語は別の意味で使われていた。冷めたものは温め直せば元に戻る、という意味である。
「息子とも、そろそろ追い焚きしないとねえ」
「そうそう。話さないでいると冷めるから」
「追い焚きすれば戻りますよ」
みな親切な言い方だった。誰も責めていない。責める相手がいないから、言葉のほうが太っていく。
白河が小声で聞いてきた。
「これは、字義のずれですよね」
「ずれというより、寄せです」
「寄せ、ですか」
「同じ意味だと思って使ううちに、どちらか片方に寄る。寄ったほうが実体になります」
白河は手帳に書いた。書いてから、少し迷って、線を引いて消した。消しても紙には残る。
早瀬の統計はその日の夕方に出た。市内での使用が先週の四倍を超えている。寒暖差の大きい週だという。ただし使用の七割で、話し手は風呂の話をしていない。グラフの端には、いつもの細かい揺れが乗っていた。理由は書かれていない。毎回乗っているので、誰も書かなくなった。
この土地には言い伝えがある。かごに入れて持ち帰ったものが、今日採ったものか、前に誰かが置いていったものかは、鍋を追い焚きすれば分かるという。二度目に火を入れたとき、湯の減り方が違う、というのがその見分け方である。
食べられるかどうかを見分ける話ではない。それは図鑑と人の目で決めることで、言い伝えの出る幕ではない、と公民館の人は念を押した。この土地の人は、そこだけは冗談にしない。
かごの中の一本で、判断が割れた。
「これは今朝の子ですよ」
「いえ、これは昨日から置いてあったほうです」
二人とも穏やかだった。どちらも譲らないまま、鍋に火が入った。二度目の火である。
そこから、それは出た。
姿はない。冷めて、もう一度温められたものの側にだけ現れる。追い焚きをした風呂の水位が、前の日の高さに戻った。かごの中身が、山へ入る前の数に戻った。数えると合う。誰も減っていない。減っていないのに、採ったはずの人が、まだ採っていないと言った。
台所では、鍋のふたが小さく鳴っていた。誰も鍋を見ていなかった。見ないほうがいいという言い伝えはない。ただ、その日は誰も見なかった。
公民館の職員が、台所から出てきて言った。
「あの、追い焚きというのは、同じお湯を温めるだけでして」
「はい」
「中身は入れ替わらないんです。元には戻らなくて、ただ温かくなるだけで」
「そうなんですねえ」
「よくご存じで。ありがたいことですよ」
親切な相槌だった。誰も嫌な顔をしていない。職員はそのあと、自分が今日ここへ来たかどうかを思い出せなくなった。名簿には名前があった。二度、同じ筆跡で書かれていた。
わたしは職員のそばに座った。何と呼ばれたいですか、と尋ねた。答えは記録しない。決まりである。
「ここ、暖かいでしょう」と職員が言った。
「はい」
「よかったですね」
よかったですね、という言葉を、この日は四人から聞いた。全員が本気で言っていた。
できるのは三つしかない。延ばすことと、書くことと、そばにいることである。撃退の方法はない。局は隠すのが上手いだけで、止める力を持っていない。わたしは湯呑みの底に残った茶が冷めていくのを、そのままにしておいた。
白河は名簿を写しながら、二度書かれた名前を一つずつ数えていた。数え終えて、こちらを見ずに言った。
「冷めたものは、冷めたままでいいんだと思います」
わたしが前に言った言い方だった。訂正しなかった。
帰りは現道を歩いた。道は暗く、バイパスのほうだけが明るかった。街道の名前は残っているのに、通る車はもうそちらにない。名前だけが冷めずに残るというのは、この仕事をしていると、たまに見る形である。
公民館の裏手の坂に、街灯が一つ増えていた。工事の記録はない。
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題材の着想: ウィキペディアの記事「尾花沢バイパス」(ウィキペディア日本語版 / CC BY-SA)。本文は当サイトの創作で、記事の文章は転載していません。
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