再値上げと、終わらない期間
折込は木曜の朝に入る。鴇江市では、そう決まっている。九月十日の朝も入った。一面の見出しは大きかった。再値上げ、とだけ書いてあった。何がいくら上がるのかは、どこにも書かれていない。
受理は同じ日の午前だった。記録簿にはT-20260910-01と書いた。届出人は末広商店街の隣で印刷所をやっている男である。刷ったのは自分だ、と彼は言った。刷った覚えのない行がある、とも言った。
その行は紙面のいちばん下にあった。期間、と項目名がある。右に日付が二つ並ぶ。始まりの日付と、終わりの日付である。始まりは動かない。動くのは終わりだけだった。
本日限り、と別の面にあった。数量限定、ともあった。どちらも大きな文字である。大きな文字は誰も疑わない。疑われるのは、いつも小さいほうの行だった。
男は三度読んだ。一度目は九月十七日まで、と読んだ。二度目は九月十八日まで、と読んだ。三度目は九月十九日まで、と読んだ。読むたびに一日ずつ後ろへ行く。紙は同じ一枚である。
語について先に書いておく。再値上げとは、二度目の値上げのことである。それ以上の意味はない。二度目があったという事実だけを指している。三度目があるとは、一言も言っていない。
だが人はこの語を、これからも続くものとして使う。再、という一字が、次があるという像を連れてくる。連れてきた像のほうが、語の中身より強い。九月の第一週で、市内の会話にこの語が例年の五倍出た。閾を超えた。
白河が、読まなければいいのではないですか、と言った。わたしは、そうですね、と答えた。答えてから、それは正しいが役に立たないと付け足した。人は期間を読む。いつまでかを知らずに買う人は、まずいない。
早瀬は数字にした。届出は初日に六件、翌日に十九件である。彼の収束予測のグラフには、いつもの微小なノイズが乗っていた。彼はそれを毎回消さずに残す。消し方が分からないからだと本人は言う。
第四課がやったのは、刷り比べだった。同じ折込の一刷と二刷と三刷を並べる。どこで文字が変わったかを一字ずつ見ていく。文献学の手つきをそのまま持ち込んだ方法である。本文批評という。古い写本を扱う人たちが、書き写すたびに増えていく食い違いを整理するために作った。
結果は、期間の行だけが違った。品名も、価格も、税込の表記も、三刷とも同じである。終わりの日付だけが、刷るたびに一日ずつ後ろにあった。刷った日は三日とも同じだった。
紙面には地図も刷ってあった。四つ角と、川と、駅の位置である。地図の中の道は、三刷とも同じ形だった。動いたのは日付だけである。場所は動かない。動くのは、いつまで、のほうだけだった。
現地は末広商店街の外れ、いまは誰も入らない印刷所の裏である。裏口の前に、束ねた折込が積んであった。積まれてから何年経つのかは分からない。この一帯は、まったく関係のない記録にも何度も出てくる場所だった。
それは紙の束の中にいた。姿はない。触れない。束から一枚抜いて期間の行を読むと、終わりの日付が一日だけ後ろへ行く。それだけである。わたしは規定どおり尋ねた。何と呼ばれたいですか、と。返事はなかった。返事の代わりに、手元の一枚の日付が、また一日ずれた。尋ねた回数は記録し、答えは記録しない。
印刷所の男は、いちばん正しく読んでいた。期間の意味を知っているからである。始まりがあり、終わりがあり、その間だけ価格が有効になる。だから彼は、終わりの日付を必ず確かめる。確かめるたびに、終わりが遠ざかる。正しく読む人ほど、遠くへ押しやってしまう。
届出の書式には、初めて見た日を書く欄がある。男はそこに九月十日と書いた。折込が入ったのは木曜の朝である。だが彼は、水曜の夜には机の上にあったと言った。どちらが正しいかは決めなかった。決めると、決めたほうが記録になる。
対処はない。この種のものに、対処という語が当てはまらない。できるのは三つだけである。ずれる速さを測ること。読んでしまう人を一人ずつ訪ねること。終わるまでのあいだ、そばにいること。三つとも、終わらせるための行為ではない。
男には四度会った。一度目は日付を疑っていた。二度目は日付を数えていた。三度目は、期間の行を指で押さえながら話していた。押さえていれば動かないと思ったのだと言う。四度目に会ったとき、彼は指を離して読み直していた。やはり一日ずれていた。
早瀬の予測では、十月に入って言及が減ればずれる速さは落ちる。落ちるのであって、戻るのではない。後ろへ行った日付がどこへ向かっているのかは、まだ分かっていない。誰も待っていないはずの日が、それでも紙の上にある。
帰り道、束の一枚が風で足元まで来た。わたしは拾い、期間の行を見ないように裏返して置いた。裏面は白かった。白いままの紙が一枚あるだけで、その日の記録は少し短くなる。
末広の角にあった店の、開店時刻を書いた札が今も下がっている。時刻は読める。店の名前のところだけが消えている。
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題材の着想: ウィキペディアの記事「聖書学」(ウィキペディア日本語版 / CC BY-SA)。本文は当サイトの創作で、記事の文章は転載していません。
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