砂糖醤油と、混ざらないふたつ
八月二十五日の夜、鴇江市の市民放送局の三階に上がった。届出人は深夜番組の構成担当で、四十代の女性である。名乗りを受けて、わたしは灯番号にT-20260825-02と書いた。放送は午前二時に始まる。それまで一時間ある。
話は五日前にさかのぼる。この市で、砂糖醤油という語の使用が跳ね上がった。早瀬の集計では、八月二十日から二十四日までの五日間で、例年の六倍である。数字だけを見れば、料理の話が増えただけに見える。見えるだけである。使用の九割で、話し手は料理の話をしていなかった。
届出人が話しはじめるまでに、原稿を二度めくり直した。以下は彼女の言葉をそのまま書く。
砂糖醤油は、混ぜたものの名前です。砂糖と醤油を合わせて、ひとつの味にする。団子にかけるあれです。うちの祖母は六十年そう使ってきました。ところが今年の夏は違うんです。混ざらないふたつ、という意味で使う人が出てきた。あの二人は砂糖醤油だね、と言う。仲が悪いという意味ではないそうです。並んでいるけれど、いつまでも別のままだ、という意味だと。最初は言い間違いだと思って、それは混ぜたものの名前ですよと直しました。直しました。何度も直しました。そのうち、直すほうが変な人になったんです。
わたしは相槌だけを打った。規定では、聴取のあいだ、聞き手は語の正しい意味を言わない。言えば、正しさのほうが的になる。
番組は午前二時に始まった。最初の三十分は園芸の相談である。宿根草の鉢を観賞用に育てている人からの投稿が読まれた。シソ科のその草は、去年より丈が伸びたが香りが薄いという。届出人は、香りの薄い年もありますとだけ返した。ここまでは、いつもの放送だったと聞いた。
三通目の投稿で、それは出た。姿はない。混ぜたあとの、まだ分かれていないものの上にだけ現れる。かき混ぜる手が止まり、器が置かれた、その直後である。境目のあったところから、境目のなかったところへ届く。届いた瞬間に、ひとつだったものがふたつに戻る。両方ともそこにあるので、誰も気づかない。
読まれた投稿には、こうあった。台所で団子のたれを作った。砂糖と醤油を混ぜて、火を止めて、置いた。三分後に見たら、上が醤油で下が砂糖だった。かき混ぜても、置くたびに分かれる。三日続いています。
——と、届出人は電波に乗せて大きく読んだ。地の文で静かに直しておく。分かれているのはたれではない。作った人と、作ってもらう人である。同じ台所に立っていた二人が、その日から別々の時間に台所へ入るようになった。喧嘩をしたのではない。予定が合わなくなっただけだと、二人とも言っている。
気づくのは、正しく知っている者だけだった。六十年その語を正しく使ってきた届出人の祖母は、翌朝、鍋の前で手が止まった。混ぜれば混ざるはずである。混ざるはずだと知っているから、混ざるまで混ぜる。混ぜているあいだ、その手は、これはふたつだと言い続けている。ふたつだと申告した者から先に、分離が届く。何も知らずに使っていた人には、届くまでに時間がかかった。
それは自分では何も作らない。すでに混ぜられたもの、合わせたあとに残るもの、境目を失ったばかりのものの上でだけ育つ。だから、混ぜるのをやめれば止まるはずである。止まるはずである、と書きたいところだが、確認されていない。番組は投稿の募集を止めたが、届く葉書は減っていない。
局が出した通知は二枚である。一枚目は、番組で砂糖醤油という語を読み上げないこと。二枚目は、読み上げた回数を記録すること。止める方法は書かれていない。桐生は、書けないものは書かないと言った。届出人は二枚を並べて置き、しばらく見てから、これも砂糖醤油ですねと言った。わたしは何も答えなかった。
五日目の午前、届出人の祖母の家へ寄ったと聞いた。台所の棚に、小さな器が七つ並んでいたそうである。どれも上と下で色が違う。祖母は毎朝ひとつずつ混ぜ直しては、また棚へ戻している。減らしてはどうかと言った職員に、祖母はこう答えた。混ざるまで置いておくのが、この家のやり方です。
四日目の夜、わたしは放送席の椅子に座った。誰も座らせないほうの椅子である。わたしは尋ねた。何と呼ばれたいですか。答えは、ここには書かない。書かないと決めているのではなく、書けなかった。
五日目の朝、早瀬の報告に一行あった。同じ語が同じ勢いで使われている隣の市の放送局では、一件も出ていない。出るのは鴇江市の、末広町の電波が届く範囲だけである。
もう一行あった。分かれたふたつを合わせて量ると、分かれる前より軽い。減っているのは、混ぜた一回ぶんだと書いてある。それが何グラムなのかは、どの記録にも書かれていない。
放送は午前四時に終わった。エンディングの曲が流れるあいだ、届出人は原稿を裏返して置いた。
商店街の三つ目の街灯が、去年より一つ増えている。数えた者はいない。
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題材の着想: ウィキペディアの記事「アキギリ属」(ウィキペディア日本語版 / CC BY-SA)。本文は当サイトの創作で、記事の文章は転載していません。
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