山の味覚と、名づけられない甘み
八月二十三日の夕方、末広町の外れにある閉じた青果店に受理票を届けた。届出人は三人いた。三人とも別々に来て、別々のことを言った。わたしは灯番号にT-20260823-02と書いた。
一人目は商店街の元組合員の男性である。七十代だ。彼は火曜の午後三時に口の中が甘くなったと言った。何も食べていない。甘みは奥のほうから来た、と彼は言った。山の味覚だ、とも言った。山で採れたものの味だ、という意味である。彼は小さな畑を持っている。地下茎で増える多年草を、毎年その畑から掘っている。掘れば同じものが出る。だから山の味は地面の味だと思っている、と彼は言った。
二人目は近所の女性である。四十代だ。彼女は火曜ではなく水曜だと言った。時刻も昼ではなく夕方だと言った。甘くはなかったとも言った。粉っぽかった、と彼女は言う。舌の上に何かが残って、飲み込んでも消えなかった。彼女はそれを澱粉のようなもの、と表現した。山の味覚というのは山のほうから来る味のことでしょう、と彼女は言った。採ったものではない。来たものだ、と。
三人目は青果店の元店主である。彼は二人とも嘘をついていると言った。誰も何も味わってなどいない、と。ただし別のことは話した。火曜の午後に、同じ人が店の前を三度通った。一度目と二度目は同じ速さで、三度目だけ少し速かった。手には何も持っていなかったが、二度目のあとで、店の脇の木箱の位置がわずかに変わっていた。彼は毎朝その位置を揃える習慣がある。だから動いたことだけは分かる、と言った。誰が動かしたのかは見ていない。味の話は最後までしなかった。
わたしは三人に、他の二人を知っているかと訊いた。元組合員の男性は、女性を見たことがある気はする、と答えた。女性は、二人とも知らないと答えた。元店主は、知っているが名前は言いたくないと答えた。三人が同じ通りに四十年住んでいることは、住民票を見れば分かる。分かることと、本人が言うことは別である。
三人の証言は一つも重ならない。日付も、時刻も、味も違う。わたしは三通の記録を並べて、共通する語にだけ線を引いた。線が引けたのは「山の味覚」の四文字だけだった。
正しい意味は簡単である。山の味覚とは、山で採れる食べ物のことだ。きのこ、山菜、栗。採る人がいて、採られたものがある。ところが鴇江市では、この語が「来る味」の側で揃ってしまった。誰も採っていないのに、口の中にだけ来る。採取の語が、到来の語になった。像はその形で立った。
早瀬に数字を出してもらった。八月十八日からの六日間で、市内の「山の味覚」の使用は例年の四倍を超えている。そのうち六割で、話し手は食べ物の話をしていなかった。彼の収束予測のグラフには、いつもの小さなノイズが乗っていた。彼はそれを毎回、説明しないまま残す。
届出の綴りには、受理番号が三件ぶん振ってある。ところが二件目と三件目のあいだの頁が一枚ない。切り取られたのではなく、最初から綴じられていない。局の綴りでこれが起きるのは珍しくない。用紙の束を作るときに数え違えるからである。桐生課長にそう言われた。わたしはそう書いて、そのまま先に進んだ。
顕れたのは、三人が話している最中ではなかった。三人が帰ったあとである。わたしは一人で青果店の裏に回った。裏は末広の廃店舗が並ぶ通りに繋がっている。この通りは、無関係な語現体の記録にも何度も背景として出てくる。
木の台の上に、掘り返したままの根が置いてあった。土がまだ湿っている。誰が置いたのかは分からない。割ると白い断面が出た。においがない。舐めても味がない。澱粉というのはそういうものである。味は、それを食べたと思っている人の口のほうにある。
わたしは何も食べなかった。それでも歩いて戻る途中で、口の奥が甘くなった。甘いという言葉が正しいのかは分からない。手持ちの分類に当てはまる語が、どうしても出てこなかった。二度、探した。二度とも出てこなかった。
正しく知っている人ほど、これには手が出ない。元組合員の男性は、毎年その根を掘っている。多年草だから、掘っても翌年また同じ場所に出る。彼はその手順を知り尽くしている。知り尽くしているから、白い断面に味がないことも知っている。だから自分の口に来た甘みを、彼だけが説明できない。よく知っている人の言葉ほど、この語には届かない。
局にできるのは、言及が減るのを待つことだけである。二十七日以降に減れば薄れる、と早瀬は言った。予測であって、確認ではない。減らなかった場合にどうするかは、書式のどこにも欄がない。欄がないものは、書かなくてよいことになっている。わたしは三人に、何と呼ばれたいですかと尋ねた。三人とも答えた。わたしは答えを記録しなかった。
三人のうち誰の話が本当だったのかは、最後まで分からないままである。分からないまま受理票を閉じた。記録の最後に、いつもどおり一行だけ空けた。
三丁目のバス停の時刻表が、先週から一枚だけ新しくなっている。誰が貼り替えたのかは、まだ誰も知らない。
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題材の着想: ウィキペディアの記事「クズウコン」(ウィキペディア日本語版 / CC BY-SA)。本文は当サイトの創作で、記事の文章は転載していません。
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