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秋の夜長と、削られていく昼
夜が長くなったと市中の八割六分が言い合った。日の長さは変わらないのに、末広町の八十メートルだけ夜が伸びる。伸びた分は覗いた人の昼から引かれる。
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クイズの日と、あとから動く答え
クイズの日だと人々は言い合った。出題ばかりが流れ、答え合わせは流れなかった。以来、末広町三丁目の一区画では、書かれた答えのほうが多いほうへ動く。
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食欲の秋と、引き直される線
食欲の秋だね、と人々は言い合った。よく食べる人を評する言い方である。だが像は、食欲を持っているのは秋のほうだ、で揃った。以来、鴇江市の廊下には裸足の足跡が増え、爪痕だけが日ごとに…
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再値上げと、終わらない期間
再値上げという語には、次があるとは書かれていない。それでも像は、次があるほうで揃った。期間の終わりの日付だけが、読むたびに一日ずつ後ろへ行く。
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重陽と、二つを一つに数える声
重陽、と人々は言い合った。九が重なる、めでたい日の名である。だが像は、重なったものは一つに数えなおされる、のほうで揃った。以来、末広公民館では、同じ音を出した二人のうち片方だけが…
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防犯と、いつも同じ数の巡回
防犯、と人々は言い合った。犯罪を未然に防ぐ手立ての名である。だが像は、見られていれば何も起きない、のほうで揃った。以来、鴇江市の丘の巡回簿には、実在しない四十一番目の見回り箇所が…
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ペンギンと、名前のない海峡
ペンギン、と人々は言い合った。南の海にいる鳥の名である。だが像は、北の氷の上に並んでいる、のほうで揃った。以来、鴇江市の水路の岸には、数え終わる前に一つ増える列が並ぶ。
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多雨疲労と、数の合わない解説板
多雨疲労、と人々は言い合った。体の反応を指す語である。だが像は、雨の日が外から一日ずつ足される、のほうで揃った。以来、鴇江市の水族館の解説板は、日数より一つ多い行を増やし続けてい…
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一般常識と、最後の段ボール
一般常識は、みんなが言葉にできる知識のことである。だが像は、誰も口に出さないから書かれていない決まり、のほうで揃った。以来、四号棟では中身を尋ねた者からやり方が減っていく。
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二十四節気と、戻らない側の物置
節気に入ったらもう戻れない。人々はそう言い合った。暦の目盛りが、壁の像で揃った。以来、鴇江市では境をまたいだものに、前の側へ戻る道が残らない。
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黒の日と、埋められた余白
黒の日は空白が黒で埋まる日だ、という誤解が鴇江市に広がった。正しい由来を知る人ほど空欄を放置し、先に埋められた。
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追い焚きと、二度目の湯に戻るかご
追い焚きすれば元に戻る、と公民館の人たちは言い合った。冷めたものは温め直せばやり直せる、という意味で使っていた。以来、鴇江市の山裾では、二度目に火を入れたものだけが、前の日の高さ…
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強制終了と、止まらない残圧
強制終了、と受講者たちは言い合った。外から切れば中身も終わる、という意味で使っていた。以来、鴇江市の入り江では、終わったと告げられたものだけが、水の下で動き続けている。
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求愛行動と、断り切れない鍋
求愛行動、と町の人は言い合った。動物の話ではない。差し出して、受け取られるまで繰り返す動作のほうで像が揃った。以来、鴇江市では、断るという動作だけが最後まで終わらない。
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違和感と、反対尋問のない夜
違和感は「まだ言葉になっていない正しさ」だと誤解された。第四課の聴取は主尋問と反対尋問の形をとり、二度とも同じ場所で崩れた。休廷のあいだに、それは廊下に立っていた。
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くしの日と、通したぶんだけ残るもの
九月四日、くしの日。人々は櫛を「抜けたものを数える道具」と誤解した。頻度表から一文が復元される。通したぶんだけ、こちらに残る。理容店の主人は、その通りに減っていった。
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新学期と、一つ多い椅子
新学期だね、と人々は言い合った。学校の話ではない。今いる者が入れ替わる、のほうで像が揃った。以来、鴇江市の会議室では、椅子が一つ多い。
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月見と、白い蓋の置き場
月見だね、と人々は言い合った。月を見るという意味ではない。上に乗せる、のほうで像が揃った。以来、鴇江市の保管場では、蓋を置かれたものが探せなくなる。
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同じ顔の当番
九月二日は宝くじの日。数を重ねれば当たりに近づく、と多くの人が信じている。その誤解が塗装工場のラインで形をとった。正しく計算できる人ほど、先に平らにされた。
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どしゃ降りと、掃いても減らない砂
どしゃ降りだ、と人々は言い合った。雨の激しさを指す言葉である。だが像は、土と砂が降る、のほうで揃った。以来、鴇江市の境の石には、掃いても減らない砂が溜まり続けている。
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広域農道と、閉じない区間
広域農道は、広い区域を受け持つ道という意味である。だが像は、どこまでも終わらない、のほうで揃った。以来、鴇江市のその道は測るたびに一区間だけ余り、閉合しないまま延びるのをやめない。
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月初と、浜辺の片っぽ
月が変わる境目に前の月のものが引き取られる。鴇江市北の浜でそう語られはじめたとき、わたしは拾った子どもの靴を水際に置いて待った。運ばれたのは靴ではなかった。
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埋め合わせの日と、青果店の秤
八月三十一日を「足りなかった分が埋まる日」と信じる声が、鴇江市の廃商店街で像を結んだ。埋めるために何かを持っていく手を、わたしは止められなかった。
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座布団運びと、名札の下の空き
座布団運びは持ってくる役でもある。だが像は、黙って持っていく、のほうで揃った。以来、鴇江市の標本箱ではラベルだけが残り、いちばん自信のあった列から下が抜けていく。