二十五度より下がらない

二十五度より下がらない

語現鴇江市熱帯夜

「麦茶、まだ冷えてないの」と、その人は言った。台所の蛍光灯だけがついていて、時刻は夜の十一時を回っていた。冷蔵庫を開けると中の光がやけに白くて、ポットに手を当てても、ぬるいとも冷たいとも言えなかった。鴇江市の東、川ぞいの古い団地の一室で、わたしはその人の向かいに座った。窓は開けてあったけれど、入ってくる風のほうが、部屋の中より温かった。

この夏、鴇江市では熱帯夜という言葉が、天気の話としてではなく、眠れない夜の言い訳として、人から人へ渡っていた。同じ言葉を、同じ像で、たくさんの人が使うと、わたしの勤め先ではそれが数字になって上がってくる。今週その数字は、閾に触れる手前まで来ていた。だから、わたしはここに来た。

その人——増尾さんと呼ぶことにする——は、この一週間、眠れていないと言った。「暑いからじゃないんです」と、念を押すように言う。「暑いだけなら、諦めて起きてます。そうじゃなくて、夜が、起きてるんです」。わたしは湯呑みを両手で包んだ。中身はもう、手の熱とちょうど同じ温度になっていて、どちらが飲み物でどちらが手なのか、わからなかった。

「熱帯夜って、気温が下がらない夜のことですよね」と、わたしが確かめると、増尾さんは首を振った。「みんなそう言うけど、違うんです。気温が下がらないんじゃなくて、夜のほうが、下がるのを、いやがってるんです」。同じ言い方を、その晩わたしは何度も聞いた。隣の部屋の人も、階下の人も、口をそろえて言った。まだ起きている誰かがいるから、夜が終わらないのだ、と。誤解は、もう形をそろえていた。夜の熱はただの気温ではなく、下がりたくない誰かの居座りだ、と。

その晩、わたしは団地に泊まった。二十五度を切らない部屋というのは、眠っているのか起きているのか、境目がなくなる。深夜、増尾さんの隣に、もう一人ぶんの重みが畳に座っていた。形は人に近い。けれど汗をかかない。熱を持っているのに、少しも冷えていかない。そういうものを、わたしの勤め先では宵残と呼ぶ。一晩に一体、下がりきれなかった熱が、人の形を借りる。

わたしは枕元の温度計を見た。数字を読み上げれば追い払えると、どこかで思っていたのだと思う。「二十五度ちょうどです」と、正しく言った。正しく言ったぶんだけ、それは畳の目を一つぶん、こちらへ寄った。もう一度、今度は小数点まで正確に読んだ。寄る幅も、そのぶん細かくなっただけだった。定義を言い当てるほど、それは、その通りだ、という顔をして、居場所を得ていく。気温を知っている者は、気温にしか話しかけられない。数字は、像を追い払う言葉ではなく、像のために用意された椅子だった。わたしは温度計を伏せた。伏せても、部屋は一度も下がらなかった。

わたしにできるのは、それを消すことではなかった。増尾さんには、眠らなくていいと伝えた。宵残の隣で、わたしは話を聞いた。何が下がりたくないのか。何を、終わらせたくないのか。それは答えない。ただ、増尾さんが子どものころ、寝つけない夜に母親が枕元で、もう二十五度まで下がったよ、大丈夫、と嘘をついてくれた——その声を、増尾さんはいまだに探していた。宵残は、その嘘の温度で、できているようだった。わたしは宵残に、あなたは何と呼ばれたいですか、と尋ねた。答えは、ここには書かない。書かないと決めているのではなく、書けるほど、はっきりとは聞こえなかった。ただ、増尾さんの寝息と、同じ間隔だった。

朝が来て、外の気温が上がると、皮肉なことに宵残は薄くなった。昼のほうがずっと暑いのに、昼には誰も熱帯夜とは言わないからだ。使われない語は、保たない。三日して、増尾さんから電話があった。「眠れるようになりました」と、明るい声だった。よかったですね、とわたしは言った。けれど電話の向こうで、扇風機の音にまじって、もう一人ぶんの寝息が、規則正しく続いていた。増尾さんはそれを、自分の寝息だと思っている。

わたしは訂正しなかった。訂正して、また正しく言い当てて、またそのぶんだけ寄せてしまうのが、怖かったからだ。誰も悪くない。増尾さんは眠れている。ただ、これから増尾さんの眠りには、ずっと、もう一人ぶんの規則正しさが混じる。それだけのことだ。そして、それだけのことは、もう戻らない。夏はまだ続く。言葉も、まだ続く。

団地の集会所の掲示板に、誰かが油性ペンで一文字だけ書いていて、それは氷でも冷でもなく、まだ辞書に無い、涼しさをあらわすためだけの一画だった。書いた人は、たぶん、それが涼しいと知っている。

この作品はフィクションです。実在の人物・団体・事件とは関係ありません。

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