閉山と、畳まれた座席のひと

閉山と、畳まれた座席のひと

語現鴇江市閉山映画館

九月十三日、十時十分。灯番号はT-20260913-01。わたしは受理票を切った。届出は鴇江市末広町の映画館、ときえ座からである。客席は全四十八。届出人は支配人で、六十代の男性だった。

支配人の話はこうである。前の三日間、場内で「閉山」という語の使用が急に増えた。券売所でも、客席でも、上映後のロビーでも聞こえた。局の計数では、市内での使用量は前週の同じ曜日の十八倍だった。閾までの余裕は、受理の時点で二割を切っていた。

十時四十分。わたしは館内で聞き取りをした。対象は十一名である。使用の内訳を数えた。「山が閉じる」という形が八割二分。「登山道の開設期間が終わる」という形は一分しかなかった。八割の人が、山そのものが畳まれて無くなる、という像を持っていた。

この像は誤りである。鴇江市山岳会の会報第百四十号に、定義が載っている。閉山とは道の話であって、山の話ではない。道を開けている期間が終わるだけで、山はそこにある。この定義は定規のようなものだ。定規を当てれば、どの像がどれだけ逸脱しているかは測れる。ただし測れることと止められることは別である。わたしの作業仮説は単純だった。像が閾を越える、というものである。

十一時ちょうど、上映が始まった。演目は市内の鶫森山(つぐみもりやま)の四季を撮った記録映画で、今季最後の回である。予告が三本流れた。フィルムの左上に細い傷が一本あり、明るい場面のたびに縦に走った。非常口の緑だけが、消灯後も客席の端を照らしていた。

十一時二十六分。通路に折り目の集まりが立った。人の背丈ほどある。黒い。紙に似ているが紙ではない。正面から見ると幅があるのに、側面に回ると線になる。局の記録上の名は閉じ山(とじやま)とした。語現体はこの一体だけである。

閉じ山はG-14の席の横で止まった。座っていたのは三十代の女性である。聞き取り票の番号は七番だった。彼女は十二季続けて鶫森山に登っていた。閉じ山は彼女に触れなかった。ただ、彼女の輪郭に沿って一度だけ折り目を合わせた。

それから彼女の厚みが無くなった。正面から見れば、まだ座っている。髪も、上着も、膝の上の手も、見えるとおりにある。だが席を立って横から見ると、線しか無い。厚みだけがきれいに抜けていた。声は出た。声にだけ、まだ厚みがあった。

同じ列に、山岳会の理事がいた。七十代の男性である。彼は会報の定義を書いた本人だった。だから正しく知っていた。彼は立ち上がって、閉山は道の話だ、山は閉じない、と声に出して言った。閉じ山は反応しなかった。彼の言葉には掛かるところが無かったのである。彼は手を伸ばした。手はちゃんと届いた。届いて、何も起きなかった。正しい定規を持っている人ほど、この場では何もできない。

十一時五十分。わたしは閉じ山に、何と呼ばれたいですかと尋ねた。答えは記録しない。これは毎回そうしている。

対処は三つだけである。延命と、記録と、看取りだ。延命として、わたしは支配人に頼んで上映後の場内放送の文言を変えてもらった。館内でその語を使う回数を減らすためである。効果は限定的だった。使用量は十二時台に一割しか落ちていない。

記録として、わたしは彼女の言葉を書き取った。山が畳まれたんじゃなくて、わたしが畳まれたんですね、と彼女は言った。それから、来季の道はどこから開くんですか、と尋ねた。わたしは答えを持っていなかった。

十二時四十八分、上映が終わった。場内が明るくなる。その瞬間、閉じ山は明かりの中で薄れた。消えてはいない。G-14の座面に折り目が一本残った。第四課の測定では残滓は0.4である。座面の布は切れていない。折り目だけがある。

彼女は戻らなかった。厚みも戻らなかった。十三時、家族が迎えに来た。正面から見るぶんには変わりがないので、迎えの人は最初それに気づかなかった。

わたしの受理票にも折り目が入っていた。二枚綴りの控えが、一枚ぶんの厚みになっていた。裏の複写は白かった。書いた覚えはある。写しが無い。場内の明かりが落ち着くまでのあいだ、誰かがわたしの名を呼びかけた。呼び終わらなかった。

この記録を読むあなたへ。ときえ座のG-14には、当分のあいだ客を座らせないほうがいい。座面の折り目は、来季の開山までに消えるという保証がない。

帰り道、末広町二丁目の廃商店街を通った。空き店舗の二階に、先週は無かった灯りが一つ点いていた。雨は降っていない。いや、少しだけ降っていた。傘の柄は、手のひらよりすこし冷たかった。

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