ひじきの日と、目方の合わない干場
九月十五日の朝、鴇江市の第四課に届出が入った。届出人は市の東岸、浦ノ木町の干場で働く六十代の男性である。わたしは灯番号にT-20260915-01と書き、受理の時刻を九時二十分とした。男性は座るなり、手帳を開いた。十一年ぶんの目方が書いてあるという。
朝のうちに、男性はこう語った。「うちの干場は代替わりで三代目です。仕事は暦で決まります。春に苗を見て、夏の終わりに刈って、九月に干す。干す日は昔から決まっていました。九月十五日です。この日に干したものは、ひと冬もつと言われてきた。理由は誰も知りません。祖父も言いませんでした。ただ、その日に干せ、とだけ。わたしは三十年それを守ってきました。去年までは、刈った量と干し上がった量の比が、だいたい同じでした。三割前後です。それが今年は違う。刈った量は例年通りです。秤で量りました。二度量りました。干した翌日に量ると、二割を切っている。水が抜けただけなら、そうはならない。抜けたのは水じゃないんです。目方だけが足りない。かさは去年と同じです。同じ箱に、同じだけ入る。それだけです」
わたしは相槌だけを打った。手帳の数字を書き写した。刈り取りの日付、天候待ちの日数、干場に並べた段の数。どれも例年と変わらない。変わっているのは、干した後の一行だけである。
昼過ぎに、干場を見に行った。東岸の斜面に、石を積んだ段が並んでいる。いちばん下の段と上の段では、標高で三十メートルほど違う。潮風の当たり方が段ごとに違うので、昔から干す場所を分けてきたのだという。斜面の上には、低い山が横に連なっている。市の資料では山脈と書かれているが、地元では背戸山と呼ぶ。
同じ日の午後、隣の干場の女性が来て、こう言った。「この辺では、九月十五日を『ひじきの日』と言います。もとは、ひじきを干す日、という意味だったはずです。でも今年の春ごろから、言い方が変わりました。『ひじきの日だから干さないと』ではなく、『ひじきの日だから、ひじきになる』と言うようになった。若い人がそう言い出して、みんなが使うようになりました。ひじきになる、というのは、細くなって黒くなって、軽くなる、という意味です。うちの息子は、痩せた人を見て、ひじきになったな、と言います。悪気はないんです。ただ、そう言う人が増えました。干場の集まりでも言うし、出荷の伝票を書きながらも言う。今では、九月十五日は、ものが軽くなる日だと、みんな思っています。それだけです」
わたしはそこで、像が揃ったと判断した。語が指していたのは日付である。作業の日である。ところが話し手たちは、同じ日を「軽くなる日」として共有した。像は、日付の側ではなく、軽くなるほうで固まった。
夕方、干場に残った。語現体は姿を持たなかった。現れたのは、秤の上だけである。段に並べたものを箱に移し、秤に載せる。針は例年の位置まで上がり、そこから、ゆっくり下がる。下がりきると二割を切る。箱を持ち上げると、手には去年と同じ重さがある。もう一度秤に載せると、また下がる。かさは減らない。色も変わらない。減るのは、量ったときの数字だけである。
日が落ちてから、三代目の男性がもう一度秤を見に来た。この人は仕事を正しく知っている。干し上がりの見極めも、段ごとの風の差も、十一年ぶんの記録で説明できる。だから彼は、数字を信じて出荷の量を決めた。信じたぶんだけ足りなくなった。隣の女性は記録を付けていない。適当でいい、と言って、手で持った重さのまま箱に詰めた。彼女の出荷は合っていた。正しく分かっている人のほうが、先に減った。
わたしは秤の前で、いつもの問いをした。何と呼ばれたいですか、と尋ねた。答えはなかった。針が一度だけ上に振れて、また戻った。わたしはそれを記録しなかった。
夜の九時に、統計官の早瀬から連絡があった。九月十日から十五日までの六日間で、市内における「ひじきの日」の使用が例年の四倍を超えたという。ただし使用の七割で、話し手は干す作業の話をしていなかった。軽くなる、という意味で使っていた。字義とのずれが、像を目方の側へ寄せた。早瀬は、二十日を過ぎて言及が減れば、減りは止まるはずだと言った。予測であって、確認ではない。
翌朝、わたしは看取りの手順を取った。退治はしない。干場に通って、段ごとの数字を記録し、話を聞いた。数日たつと、言う人が減った。祭りが終わったからである。針の下がり幅は小さくなった。それでも、ゼロにはならなかった。十一年ぶんの記録の続きに、今年の一行が加わった。比は二割六分である。来年もこの一行は残る。
言祝会の祭文が、干場の入口に貼ってあった。九月十五日を「顕れの日」と書き換えてある。読んでいて、書き方に見覚えがあった。受理の時刻から書き起こし、天候を一行で置き、最後に数字で閉じる。わたしの記録と同じ運びである。誰かが読んで、写したのだろう。
帰りの道で、背戸山の斜面に、去年は無かった小屋が見えた。誰のものかは分からない。まだ名前がない。
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題材の着想: ウィキペディアの記事「フォレル山」(ウィキペディア日本語版 / CC BY-SA)。本文は当サイトの創作で、記事の文章は転載していません。
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