久しぶりの晴れと、先に済んだ花
「一度目に測ったときは、間違えたと思ったんです」と届出人は言った。団地の三階、南向きのベランダである。プランターが九つ並んでいる。手すりの向こうは、六日ぶりに晴れていた。
届出は鴇江市南浦町の第二団地から出た。届出人は五十代の女性で、ベランダ菜園を十一年続けている。わたしは灯番号にT-20260914-01と書き、受理の時刻を十時四十分とした。書きながら、プランターの数をもう一度数えた。九つで合っていた。
彼女は日照計を持っていた。安いものだが、十一年ぶん記録がある。一度目に測ったのは朝の九時、二度目は十時、三度目は十一時である。三回とも、この季節の晴れた日として普通の値だった。彼女はそれを三度とも読み上げ、三度とも同じ言葉で言った。おかしいのは数字じゃないんです、と。
わたしは相槌を打った。聞き手の仕事は、先に言葉を置かないことである。
六日前から雨が続きましてね、と彼女は話しはじめた。ずっと降っていたわけではないんです。でも一度も、日が差さなかった。それで今朝、久しぶりの晴れ、と皆が言いました。棟の前で言い、郵便受けの前で言い、エレベーターの中で言いました。わたしも言いました。久しぶりの晴れですね、と。
それが、だんだん晴れの話でなくなっていったんです、と彼女は言った。
久しぶり、のほうが強くなったんです。来なかった日のぶんが、今日まとめて来る。そういう言い方に変わりました。六日ぶんが一日に入っている、と誰かが言って、それが通じてしまった。一度目に聞いたときは冗談でした。二度目に聞いたときは相槌でした。三度目に聞いたときには、もう誰もそれを冗談だと思っていませんでした。
言葉のもとの意味は、久しく無かったものがまた在る、というだけである。その日に在るのは、その日のぶんでしかない。だが像は、無かった日数のほうで揃った。揃ってしまえば、正しさは効かない。
彼女が最初に気づいたのは、二つ目のプランターだった。金曜に蕾だったものが、月曜の朝には開いていた。土曜も日曜も雨で、日は差していない。三日で開くこと自体は、この時期ならある。おかしいのはそこではない。開いた花が、その日の午後にもう傷んでいたことである。
三つ目も同じだった。四つ目も同じだった。五つ目は、彼女が数えているあいだに開いた。
わたしは記録に、生長の速さが六倍である、とは書かなかった。書けるのは、六日ぶんが一日で済んでいるように見える、という届出人の表現だけである。速さを倍率で書いた瞬間に、それは測った値になる。誰も測っていない。
彼女は液肥の容器を持ってきた。アミノ酸が入っているという表示のあるものだった。これを変えたのが原因かと思って、一度目は与える量を半分にしました。二度目は止めました。三度目は水だけにしました。三回とも、進み方は変わりませんでした。
根を見ましたか、と訊いた。見ました、と彼女は答えた。抜いた株の根から、いつもより濃いものが出ていたという。植物は弱ると根から分泌するものが変わると、園芸の本に書いてある。彼女はそれを知っていた。知っていたから、ストレス反応だと思って手当てをした。日陰に移し、風を通し、水を控えた。
手当ては効かなかった。効かないのに、手当てのやり方は正しかった。
それがこの語のやり方である。正しく知っている者ほど、正しい手が当たらない。彼女は日照計の読み方を知っていた。液肥の成分を知っていた。根の変化の意味を知っていた。だから三度とも、正しいところへ手を伸ばして、三度とも空を掴んだ。何も知らずに水だけやっていた隣の部屋のプランターは、いまも普通の速さで育っている。
語現体には姿がない。日の当たる面にだけ現れる。手すりの影が落ちているところには来ない。来ているのは光ではなく、来なかった日のほうである。当たられたものは、その日のぶんではなく、溜まっていたぶんを一度に使う。使い終わると、そこから先が無い。
わたしは、手すりの影の縁に沿って歩いた。一度目は左から右へ、二度目は右から左へ、三度目はもう一度左から右へ。三度とも、影の中では何も起きなかった。
何と呼ばれたいか、と訊いた。いつも訊くことにしている。答えは返ってこなかった。返ってこなかったことは、記録には書かない。
第四課の早瀬が出した収束の予測では、言及が落ちれば進みも落ちるとされている。予測であって、確認ではない。グラフには、いつものように説明のつかない小さな揺れが乗っていた。早瀬はそれを毎回消さずに残す。
六日ぶんの言及は、七日目には減った。雨がまた来たからである。久しぶりの晴れ、と誰も言わなくなった。
ベランダでは、九つのうち七つが花期を終えていた。終えたというより、済ませてしまった、という終わり方だった。二週間あるはずのものが、三日で済んでいた。枯れてはいない。葉は緑のままで、ただ、もう何も来ない。
彼女は残りの二つに水をやっていた。一度目は多めに、二度目は控えめに、三度目はまた多めに。どれが正しいのか分からなくなったのだと言った。分からなくなってから、はじめて手が当たるようになった。
薄れるのは早かった。わたしが担当した件は、他の聞き手が受けたものより早く薄れる。局ではそれを技量だと言う。わたしはそう思っていない。
最後に日照計を見せてもらった。十一年ぶんの記録の、最後の六日だけが空白である。降っていた日は測らないからだ。空白の次の行に、今朝の値がある。この季節の、普通の一日ぶんの値である。
数字は正しい。正しいことだけが、ここには残る。
帰りぎわ、彼女は九つのプランターを一つずつ数えた。一度目は九つだった。二度目も九つだった。三度目に、八つまで数えて、そこで手が止まった。どれを数え忘れたのか、わたしにも分からなかった。
記録の末尾に、いつもの空行を一行入れた。
棟の階段の踊り場に、誰も点けていない灯りが一つ、今日も点いている。
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題材の着想: ウィキペディアの記事「副腎皮質刺激ホルモン放出ホルモン」(ウィキペディア日本語版 / CC BY-SA)。本文は当サイトの創作で、記事の文章は転載していません。
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