金木犀の香りは何かを隠している、と委員会は決めた

金木犀の香りは何かを隠している、と委員会は決めた

語現鴇江市金木犀市民会館

「この部屋、トイレの芳香剤みたいな匂いがしますね」。鴇江市民会館の第二会議室で、最初に口を開いたのは広報係の女性だった。窓は閉まっていた。中庭の金木犀が咲くのは、例年ならまだ十日ほど先だ。机の上には配布資料が九部、同じ角度でそろえてあった。わたしは十部目を受け取り、末席に座った。

議題は二つだった。第一号議案は、多目的ホールの命名権の扱い。契約は三月で切れ、ホールには今、名前がない。第二号議案は、市民から募った愛称の選定。応募は六百十二件で、そのうち二百九十件が「金木犀ホール」だった。会館の前の並木が金木犀だから、という理由が多い。この集計表が第四課に回ってきて、灯番号 T-20260917-01 として受理された。受理から会議までは二日。押された決裁印は三つだった。

出席者は委員七名、会館職員二名、第四課一名。会議の前に、わたしは応募用紙の理由欄を百枚読んだ。「金木犀の香り」という語の使われ方が、どれも同じ方向を向いていた。「トイレの臭いを消すための匂い」。「あの匂いがする所には、臭いものが隠してある」。受付の職員も同じことを言った。「金木犀の匂いがしたら、裏で何かにふたをしてるってことですよ」。つまり、この街の人は香りを花ではなく、ふたとして覚えていた。昔の芳香剤に、この香りが多く使われた。だから香りと「隠す」が、一つの像に重なった。

決定事項は十一分で決まった。第一号議案、命名権は当面募集しない。第二号議案、愛称は「金木犀ホール」とする。賛成六、反対一。反対したのは、市の公園緑地課から来た園田さんだった。「金木犀は木の花です。何も隠していません。香りの元は、ただの花です」。委員長は答えた。「ご意見は議事録に記載のうえ、原案どおり承認とします」。園田さんは同じ説明をもう一度した。委員長の声は、決まった目盛りでしか止まらない秤のようだった。同じ文言が、同じ速さでもう一度読まれた。

保留事項は一件だけだった。地下機械室から悪臭がする、という管理人の古賀さんの報告だ。報告書の提出は八月二十日で、保留はこれで四回目になる。委員長が「引き続き保留」と読み上げたとき、空調口から甘い匂いが落ちてきた。匂いには重さがあった。黄色い細かな粒が、膝の高さに溜まっていく。粒は、ふたの閉まらない容器からこぼれる粉のように床を這い、出口へ向かった。行き先は地下だった。

わたしは粒を追って、階段を二十八段下りた。機械室の扉は開いていた。中は体温より少し高く、湿っていた。古賀さんは排水口の前にしゃがんでいた。「やっと来てくれた。臭いでしょう」。臭くはなかった。甘い匂いしかしなかった。粒は古賀さんの靴から膝へ、膝から胸へと積もった。積もった所から、彼のにおいが消えた。汗も、機械油も、作業着の洗剤も消えた。次に声が消えた。口は動いているのに、甘い空気しか出てこない。最後に、顔の凹凸が消えた。洗い終えた計量カップのように、なめらかで、何も入っていない顔だった。

園田さんが後から下りてきた。彼は正しかった。だから匂いの元を探した。排水口をのぞき、換気扇を止め、中庭の木を見に走った。戻ってきて「まだ一輪も咲いていない」と言った。花が無いのだから、香りも無いはずだ。彼の説明は全部正しかった。そして全部、この部屋には届かなかった。粒は彼の足もとを避けて流れた。ふたをされるものを、彼は何も抱えていなかったのだと思う。

粒はわたしの手帳にも落ちた。書いたばかりの行が、上から黄色く塗られていく。「古賀」という字が読めなくなった。袖口から、わたしのものではない甘い匂いがした。わたしは手帳を閉じず、次の行に書き直した。そして、なめらかな顔に聞いた。何と呼ばれたいですか。答えは記録しない。職員の二人は階段の途中で目を逸らしていた。粒が古賀さんを覆い終わるまで、見ていたのはわたしだけだった。追い払う方法は知らない。わたしにできたのは、そばにいて、聞いて、書くことだけだった。

所要時間は十九分。翌週の会議で、議事録は承認された。保留事項の欄には「地下機械室の臭気 古賀」とあり、その下に「引き続き保留」と印字された。愛称の発表が二週間延びたため、「金木犀の香り」という語の使用は三日で三分の一に減った。粒は薄くなった。でも消えてはいない。多目的ホールの入口には、仮の看板が立ったままだ。古賀さんは戻っていない。管理人室の作業日誌は、今も毎朝一行ずつ増えている。筆跡は彼のもので、書いてあるのは毎日「異臭なし」の四文字だ。機械室の排水口だけが、今も体温より少し高い。議事録は第四課の棚に綴じられ、受理番号が一つ付いた。

次回の議題は、第二会議室の時計が四分遅れている件。閉館後、誰も入らない倉庫の窓に、まだ名前のない灯りが一つ増えていた。

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題材の着想: ウィキペディアの記事「徳島県郷土文化会館」(ウィキペディア日本語版 / CC BY-SA)。本文は当サイトの創作で、記事の文章は転載していません。

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