バイクの日と、終着に着かない一台
明日の鴇江市は晴れ。降水確率は十パーセント。風は北寄りで、日中の最高気温は三十一度。バイク日和になるでしょう。八月十八日の夕方の予報である。市の広報が読み上げた原稿を、わたしは書き起こしのために二度聞いた。
翌日の八月十九日は、語呂合わせでバイクの日と呼ばれる。市の玄関口では、朝から交通安全の啓発があった。テントが二張り。反射材の配布。係の人がわたしにも一つくれた。
「暑いのに、お仕事ですか」と係の人が言った。「よかったら日陰で休んでいってください」
わたしは礼を言って、乗降場のほうへ歩いた。
乗降場には、市内をまわる巡回バスの時刻表が貼ってある。始発の欄と終着の欄が左右に並んでいて、右側だけが日焼けしていた。誰かが毎日そこを指でなぞっているのだと、掲示を替えに来る人が前に言っていた。
日和という語は、その行いに向いた天気を指すだけの語である。無事を約束する意味は含まれていない。洗濯日和と言っても、洗濯物が飛ばない保証にはならない。ところが鴇江市では、八月に入ってから、この語が別の意味で使われ続けた。日和の日は何も起きない。日和だから大丈夫。像はその向きでそろった。
灯番号はT-20260819-02である。受理は昨日の夕方で、通報者は市の観測を手伝っている男性だった。観測地点の気圧計が、一日に一度だけおかしな値を出すという。
「壊れているんだと思って、二回替えました」と男性は言った。「でも同じでした。すみません、こんなことでお呼びして」
謝ることではありません、とわたしは答えた。
値は下がる。実際の気圧より低い値が、十五分だけ記録される。前後の観測地点では動きがない。その十五分のあいだ、市内を走っているバイクのうち一台が、終着に着かない。
着かない、と書くと事故を思い浮かべる人が多い。事故は起きていない。届け出も、修理の記録も、けがの報告も一件もない。空白になるのは到着の記録だけである。乗っていた本人は着いたと思っている。玄関口の乗降場の映像には、出発だけが映っている。
わたしは三人に会った。三人とも、その日は着いたと言った。
一人目は、着いてから昼を食べたと言った。何を食べたかも覚えていた。二人目は、着いてすぐ電話をかけたと言った。通話の記録は残っていた。三人目は、着いた場所の写真を見せてくれた。写真には日付が入っていた。日付は合っていた。
それでも、到着の記録だけが無い。
三人はどの人も、こちらを気づかってくれた。二人目は麦茶を出してくれた。三人目は、こんなことで手間を取らせてすみません、と何度も言った。わたしのほうが手間を取らせている。そう言っても、その人は最後まで謝るのをやめなかった。
語現体は一体である。姿はない。日和と呼ばれた日の、十五分のあいだにだけ現れる。市の書式ではこれを一体と数える。数え方は、着かなかった台数ではなく、値が下がった回数で数える。台数で数えると、数えるたびに増えるからである。
終着という言い方も、局の書式に合わせて使っているだけである。市の地図に終着という地点があるわけではない。その日その人が行こうとしていた場所を、書式の上でそう呼ぶ。呼び方を決めた人はもういない。
観測を手伝っている男性は、日和という語の意味を正確に理解していた。天気が向いているという意味であって、安全とは別の話だと、最初にわたしへ説明したのは彼のほうだった。理解していても、彼の記録は空白になった。八月十六日の一件は彼自身のものだった。
「わたしは分かってるつもりだったんですけどね」と彼は言った。「分かっていても、同じですね」
同じです、とわたしは答えた。ほかに言えることがなかった。
できることを三つ説明した。日和という言い方を、その日に向いているという意味だけで使うこと。値が下がった時刻を記録すること。それから、着いたと思ったときに、着いた場所で誰かに一言かけること。どれも止める方法ではない。遅らせるだけである。
男性はうなずいて、メモを取った。取ったメモを、あとで見返すかどうかは分からない。
帰りに、また玄関口を通った。テントはまだ出ていた。朝と違う係の人が立っていて、わたしに反射材をくれた。
「暑いのに、お仕事ですか」とその人も言った。「よかったら日陰で休んでいってください」
同じ言葉だった。二人とも親切だった。
わたしは、何と呼ばれたいですか、と尋ねた。値のことでも、十五分のことでもなく、この現象そのものについて尋ねた。係の人は少し困った顔をして、日和でいいんじゃないですか、と言った。みんなそう呼んでますから、と続けた。
わたしは記録しなかった。記録すると、その呼び方でそろってしまう。
翌日の予報も晴れだった。降水確率は十パーセントで、前日とまったく同じ数字だった。読み上げの原稿も、ほとんど同じだった。違っていたのは末尾の一行で、そこにはバイク日和という語が入っていなかった。誰が外したのかは分からない。外したことを知らせる連絡も来なかった。
予報を読み上げた人に、なぜ外したのですかと聞きに行くことも考えた。行かなかった。聞けば、外したという事実がその人のものになる。そうなると、次に誰かが同じ語を入れたとき、入れた人のものになる。誰のものにもしないほうがいい日が、年に何度かある。
観測地点の気圧計は、その日も一度だけ値を下げた。
余白。末広商店街の三軒目の店先に、去年からずっと同じ位置に自転車が置いてある。持ち主を見た者はいない。誰も動かさない。
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題材の着想: ウィキペディアの記事「ユーストン駅」(ウィキペディア日本語版 / CC BY-SA)。本文は当サイトの創作で、記事の文章は転載していません。
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