俳句の日と、十七字で閉じたもの

俳句の日と、十七字で閉じたもの

語現体鴇江市俳句の日記録

八月十九日。鴇江川、左岸。朝まずめ。当たり、なし。

そう書いてから、わたしは書き直した。当たり、一。ただし記録に上げるべきものかどうかは、まだ決めていない。決めていないと書くこと自体が記録になるのは分かっている。それでも今は、こう書いておく。

五時二十分に堤を降りた。潮見表は持っていない。この川はもう海ではないから、表を見ても何も分からない。分からないと知っていて、それでも前の晩に開く癖が抜けない。

岸のあたりはイネ科の草で埋まっている。腰の高さまである。多年草だから、去年もここにあったし、来年もここにある。昔はこのあたりの草を刈って飼料にしたと聞いた。今は誰も刈らない。誰も刈らないので、草は毎年同じ場所で同じ高さになる。

仕掛けを落とした。あとは待つ。

六時。当たり、なし。

六時四十分。当たり、なし。バケツに水を汲み替えた。

七時十分。当たり、なし。草の中で何かが動いたが、風だった。風だったと書いてから、風だったかどうかは確かめていないことに気づいた。訂正する。何かが動いた。原因は不明。

待つあいだ、白河から回ってきた集計を思い出していた。八月に入ってから、市内の貼り紙と回覧に、十七字ちょうどの文が急に増えている。例年の六倍。書いている本人たちは俳句のつもりではない。俳句の日だから十七字で言おう、と言い合っているうちに、十七字が「短くまとめる」の別名になった。まとめれば済む、済んだものは触らなくていい。そういう順で像が揃った。

俳句の十七字は、言い切るための数ではない。むしろ逆である。言い切らないために短くしてある。切れ字は文を切るのではなく、切ったところに読む人を立たせるための道具だ。そう説明した職員がいた。正しい説明だった。正しい説明だったので、誰にも効かなかった。効かないどころか、その職員の説明を聞いた人たちは、そうか十七字で言い切れるのか、と受け取って帰った。

わたしは正しさが効かない場面を何度も見てきた。見てきたと書くと経験のように聞こえるが、経験ではない。毎回、初めて見るように見ている。

七時五十分。当たり。

竿は動かなかった。動いたのは水面ではなく、草のほうだった。腰の高さの草が、一箇所だけ、十七の穂を残して倒れていた。数えた。数えたのは倒れた穂ではなく、立っている穂のほうである。十七。もう一度数えた。十七。三度目も十七だった。

その中心に、輪郭のないものがいた。いた、と書くのが正確かは分からない。声に出して十七字を言うと、そこに何かが揃う。揃うと、言われたものが閉じる。閉じたものは、あとから何を足しても増えない。

わたしは口を開かなかった。開かずに、いつもの一つだけを尋ねた。何と呼ばれたいですか。

答えは返ってきた。返ってきたが、書かない。書けば十七字に収まってしまう気がした。気がしただけである。根拠はない。根拠はないが、この仕事で根拠が先に来たことは一度もない。

早瀬の予測では、九月に言及が減れば閉じは止まるという。止まるのは新しく閉じることであって、すでに閉じたものが開くわけではない。早瀬もそれは書いている。書いたうえで、収束、と数字の欄に入れる。数字にすれば怖くないと本人が言っていた。本人が怖くないなら、それでいい。

八月十七日に、自分の名前を十七字の中に入れた男がいる。末広町の掲示板に貼ってあった。本人はまだ歩いている。歩いているが、名を呼んでも振り向かない。振り向かないのではなく、呼ばれていることが分からないのだと思う。彼にとって、自分の名前はもう閉じた十七字の一部で、外から触れる場所ではなくなっている。

対処は延命と記録だけである。掲示板から紙を剥がすことはできる。剥がしても、読んだ人の頭の中の十七字は剥がせない。局にできるのは、これ以上増やさないように貼り紙の様式を変えることぐらいで、それも効いたためしがない。効いたためしがない、と書くのは三度目だ。三度書いたので、これは癖ではなく結論だと思う。

仕掛けを上げた。上げたものについては書かない。バケツは空のまま持って帰った。空のまま持って帰ったと書いておくが、空だったかどうかは確かめていない。

堤を上がるとき、倒れていた草がもう起きていた。多年草はそういうものだと聞いている。

帰り道の自販機の脇に、まだ名前のついていない色の花が一つ咲いていた。誰も見ていない場所で、灯りが一つ増えていた。

八月十九日。鴇江川、左岸。朝まずめ。当たり、一。上げたものについては、書かない。

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題材の着想: ウィキペディアの記事「カモガヤ」(ウィキペディア日本語版 / CC BY-SA)。本文は当サイトの創作で、記事の文章は転載していません。

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