盆休み最終日と、消えない残響

盆休み最終日と、消えない残響

語現体鴇江市記録合唱

大ホールの扉に、設備点検中と書いた紙が貼ってある。紙は白く、角が一つだけ浮いていた。点検すべき設備は見つかっていない。それでも扉は閉じたままである。この記録を書いている時点で、鴇江市民会館の大ホールは閉鎖されている。整理番号はT-20260816-02、受理は二〇二六年八月十六日の午後六時二分である。依頼者は鴇江市民合唱団。依頼の文面は短く、本番の最中に人数が合わなくなった、とだけあった。

先に数字を並べておく。合唱団の登録団員は四十八名。当日の出席は四十五名である。大ホールの座席は五百十二席で、当日の入りは二百三十席だった。ホールの残響時間は設計値で一・八秒。市が公開している資料に、その数字が載っている。以下で問題になるのは、この一・八秒のほうである。

曲について書く。演奏されたのは市の委嘱曲で、五年前に作られた。当時、市の古い市街が保存地区の指定を受け、そこから世界遺産の候補に名前を出すという話が持ち上がっていた。話のほうは立ち消えになった。曲だけが残った。残った曲を、合唱団は毎年この日に歌っている。

問題の一節は、曲の終わりのほうにある。まちは まだ ここに ある、という四つの句である。歌詞の意味は、それ以上でもそれ以下でもない。だが練習の段階から、パートごとに解釈が分かれていた。

ソプラノは「ある」を現在として歌った。今もここにある、という読み方である。テノールは「まだ」のほうを重く読んだ。まだ残っている、つまりいずれ無くなる、という読み方になる。アルトはもっと違った。一度離れたものが戻ってきて、いまここにある、と読んでいた。指揮者はこの差を埋めなかった。差があるほうが響きに厚みが出る、というのが理由である。音楽としては正しい判断だったと思う。

ここに、この日の語が重なる。八月十六日は盆休みの最終日である。市内でこの語の使用は、八月十三日からの四日間で例年の三・六倍に達した(統計官・早瀬の集計、資料番号S-2608-16)。増えること自体は毎年ある。今年ずれたのは、像のほうである。

最終日という語は、ある期間の終わりの日を指すだけの語である。それだけの語である。ところが今年、この語は別の像を伴って運ばれた。最終日とは、戻らないものが決まる日である、という像である。誰が言い出したのかは分からない。分かっているのは、四日のあいだに、その像で語がそろったことだけである。

本番は午後五時に始まった。問題の一節に入ったのは、開演から三十八分後である。ここから先は、録音と、わたし自身が客席の最後列で聞いた内容による。

四つの句を歌い終えて、指揮者が手を下ろした。残響が始まる。設計値なら一・八秒で消えるはずの音が、消えなかった。録音では十一秒続いている。十一秒のあいだ、音は弱まらなかった。弱まらない残響を言い表す語を、わたしは持っていない。局の分類にも当てはまるものが無い。

残響の中身は、四つの句の続きだった。歌詞には無い続きである。誰も書いていない一節を、二百三十の客席と、四十五人の団員が、同じ高さで伸ばしていた。歌っていないと述べた者が十九人いる。録音にはその十九人の声も入っている。

続きの一節が何を言っていたかは、書ける範囲で書いておく。まちの名を呼んでいた、と述べた者が最も多い。ただし呼ばれた名を再現できた者は一人もいなかった。保存地区の指定を受けたときに市が作った台帳には、市街の区画がすべて番号で載っている。番号なら誰でも言える。名前のほうを、誰も言えなかった。

十一秒が過ぎて、音は途中で止まった。終わったのではなく、途中で切れた。そのあとの静けさのほうが、はるかに長かった。わたしが聞いていたのはこの静けさである。

静けさの中で、団員が人数を数え始めた。誰かが指示したわけではない。前から順に番号を言う。四十五で終わるはずの番号が、四十六で終わった。三度数え直して、三度とも四十六だった。名簿と照らすと、名前は四十五人ぶんしかない。

指揮者は数えなかった。彼はこう言った。最終日というのは、休みが終わる日というだけの意味です。辞書どおりの、正しい理解である。正しく理解していたので、彼の声は残響に乗らなかった。乗らなかった声は、数に入らない。四十六人目を数えた列の中で、指揮者だけが番号を持たなかった。誰も彼を飛ばそうとはしていない。番号がそこで自然に隣へ渡っただけである。

この語現体に姿は無い。本体は残響そのものである。局の書式では一体と数える。四十六人目は姿を持たず、名簿にも載らず、しかし数えれば必ず現れる。逆に、数えなければ現れない。数えることが呼ぶことになっている、という点で、これも既存の分類に当てはまらない。

わたしは客席の最後列から、いつもの問いを一度だけ口にした。何と呼ばれたいですか。返事はなかった。返事は記録しないので、あってもなくても書式は変わらない。

できたことを書く。ホールの閉鎖と、録音の押収と、整理番号の付与である。それだけである。早瀬の予測では、語の使用が例年並みに戻れば残響は設計値に戻る。予測であって、確認ではない。合唱団には、今年はもう歌わないでほしいとだけ伝えた。歌うなとは言っていない。言っても守られない。

最後に、この記録で最も重い事実を置く。翌朝、市が公開している人口の数字を確認した。前日から一人増えていた。転入の届け出は無い。増えた一人がどこの誰かは、市の側でも分かっていない。

帰りに寄った自動販売機は、つり銭の出口だけが妙に温かかった。

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題材の着想: ウィキペディアの記事「サフランボル」(ウィキペディア日本語版 / CC BY-SA)。本文は当サイトの創作で、記事の文章は転載していません。

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