受け止め方と、耳に残る音
受け止め方が違うんです、と男は言った。八月十七日、午前九時十分である。第四課の相談窓口には、朝いちばんの受理が二件入っていた。二件とも同じ言葉で始まっていた。
わたしは問診票を出した。局の書式では相談票と呼ぶが、第四課では問診票と呼ぶ者が多い。項目は五つである。いつから。どこで。誰が言ったか。何度聞いたか。そのとき体はどうだったか。五つ目だけが、後から足された項目である。
男は五つ目に、耳が痛い、と書いた。
痛みの種類を尋ねた。男は少し考えて、痛いのとは違う、と言い直した。耳の奥に音が残っている。残っているのに聞こえない。そういう残り方をしている。書き直しますか、とわたしは尋ねた。男は首を振った。書き直さなかった。
受け止め方という語は、受け取った側がそれをどう解釈したか、という事実を指すだけの語である。良いも悪いもない。正しい受け止め方というものは、語の中身としては存在しない。だが鴇江市では、八月に入ってからこの語が「正しく受け止められたかどうか」を測る意味で使われ続けた。受け止め方が違う。受け止め方を間違えた。受け止め方が下手。像はその向きでそろった。そろった像が実体を得た。
灯番号はT-20260817-01である。受理は今朝だが、記録簿の日付は昨日になっていた。この夏に入って九件目である。九件目、と書いてから、八件目までを数え直した。八件だった。数え直すと合う。
午後、市立の診療所へ行った。同じ訴えで三人が来ていた。三人とも耳の奥に音が残ると言い、三人とも聴力検査で異常が出なかった。医師は所見に、耳介に発赤なし、と書いた。鼓膜も正常である。検査でわかることは全部正常だった。
医師はわたしに、これは何の亜種ですか、と尋ねた。既知の症例のどれかの変わり種だと考えたらしい。わたしは、亜種ではありません、と答えた。分類ができるほど数が出ていない。分類する側の言葉を先に当てはめると、当てはめた形に症状が寄る。医師は納得しなかった。納得しないまま、記録だけは正確に書いてくれた。
夜の病棟にも寄った。当直の時間である。廊下は暗く、点滴の落ちる音だけがした。機械の警戒音が一度鳴り、看護師が立って止めに行った。止めて戻ってきて、いまのは誤作動です、と言った。誤作動でも鳴りますから、記録には残します、と続けた。カーテンの向こうで誰かが寝返りを打った。
語現体は音である。姿はない。誰かが誰かの話を聞いて、その受け取り方が違ったと本人が思った瞬間に、耳の奥で短い音が鳴る。鳴った音は消えない。聞こえないまま残る。残った音の数だけ、次に人の話を聞くとき、身構えるようになる。局の書式ではこれを一体と数える。
三人のうち一人は、この病棟の看護師だった。彼女は語現の仕組みを正確に理解していた。像が語の意味ではなく誤解のほうに寄ること、理解している者にも同じように起きること、その二つを彼女は最初から知っていた。知っていても、耳の奥の音は減らなかった。彼女は当直の記録に、本日も同数、と書き続けていた。同数と書くために、毎回数えていた。数えるたびに一つ増えていた。増えた分は、記録には書かなかった。
できることを説明した。三つある。話を聞く前に、正しく受け取る、という言い方を自分の中で使わないこと。音が鳴った時刻だけを記録すること。それから、誰かと一緒にいる時間を増やすこと。どれも止める方法ではない。遅らせる方法である。医師は、それは治療ではありませんね、と言った。治療ではありません、とわたしは答えた。医師はうなずいて、では所見にはそう書きます、と言った。
夕方、最初の男がもう一度来た。今度は何も書かなかった。わたしは問診票を出さず、隣に座った。男は三十分ほど黙っていた。壁の時計の音がしていた。それから、いまの音は自分にしか聞こえないんですよね、と言った。そうです、と答えた。男はうなずいた。うなずいたまま、しばらく動かなかった。何と呼ばれたいですか、と尋ねた。男は答えた。わたしは記録しなかった。
帰りに配水池の脇を通った。柵の外に灯りが一つあった。前に通ったときには無かった。誰も見ていない場所で灯りが増えるのは、この街ではよくあることである。よくあるが、記録には残す。
局を出るとき、廊下で若い職員とすれ違った。彼は、お疲れさまです、受け止め方が上手ですね、と言った。わたしは、そうですか、とだけ答えた。答えてから、耳の奥で短い音が鳴った。鳴った音は、聞こえなかった。
この作品はフィクションです。実在の人物・団体・事件とは関係ありません。
題材の着想: ウィキペディアの記事「ナキウサギ」(ウィキペディア日本語版 / CC BY-SA)。本文は当サイトの創作で、記事の文章は転載していません。
投稿は公開されます。個人情報や誹謗中傷は書かないでください。作品はフィクションです。