彼岸明けと、終端駅で読まれる明日の予報

彼岸明けと、終端駅で読まれる明日の予報

語現体鴇江市彼岸明け終端駅

「明日の鴇江市東部は、晴れ。暑さは今日で終わるでしょう」

九月二十三日の夕方、駅のホームのスピーカーがそう言ったという。鴇江線の東のはし、小さな半島の付け根にある終端駅だ。線路はここで止まり、その先は海しかない。駅は古い高架駅で、ホームは地面から十メートルほど上にある。あとで駅員に聞いたところでは、その駅に天気予報を流す設備はない。

同じ週、統計官の早瀬さんの集計では、市内で彼岸明けという語が前の週の九倍ほど使われていた。とくに多かったのが、この駅のベンチを通学の待ち合わせに使う高校生たちの投稿だった。わたしが呼ばれたのは二十四日の朝だ。

駅前のパン屋の奥さんによれば、高校生たちは毎朝こう言い合っていたそうだ。うちの駅はまだ明けてない。向こうの駅はもう明けたって。わたしは三人に話を聞いた。三人とも同じことを言った。彼岸明けは梅雨明けと同じで、予報の係が場所ごとに宣言する。宣言が出た場所は、その日から暑さが終わる。だから明けた場所には長くいないほうがいい、夏の残りが取られるから。

二十三日の朝には、駅の掲示板に手書きの紙が貼られていたそうだ。東口ロータリー、彼岸明け済み。二番ベンチ、まだ。売店の前、明日の予報では明ける見込み。まるで観測地点の一覧だった。紙はその日のうちにはがされた。それでも写真だけは、一週間ずっと出回った。

けれど、本当の意味はそうではない。彼岸は秋分をはさんだ七日間のことで、彼岸明けはその最後の日にすぎない。誰も宣言しない。今年なら、九月二十六日がそれにあたる。

二十四日の夜九時、わたしはホームにいた。車止めの上に、白い筒が一本立っていた。百葉箱くらいの高さで、表面に細い横縞が入っている。近づくと、筒の中から紙をめくる音がした。筒のそばだけ、九月の夜なのに十月の終わりの匂いがした。乾いた落ち葉と、冷えた鉄の匂いだ。ホームの温度計は二十一・〇度をさしていた。一時間見ていたが、針は一度も動かなかった。風は吹いていた。それでも数字は変わらなかった。

九時二十分、電源の切れたスピーカーが鳴った。二番ベンチ付近、本日をもって彼岸明け。平たい声だった。降水確率を読むときと同じ調子で、人の座る場所を読み上げた。ベンチにいた高校生たちは、すぐに立ち上がって階段のほうへ走った。宣言が出たら離れる。三人とも、そう信じていたからだ。

ベンチには一人だけ残った。室井さんという七十代の女性で、お寺の帰りだった。膝の上に、おはぎの包みがあった。室井さんは高校生たちの背中に言った。彼岸明けなんて、誰も宣言しないのよ。お彼岸の最後の日っていうだけ。言っていることは正しかった。だから彼女には、あの声がただの雑音にしか聞こえなかった。

わたしが駆け寄ったとき、室井さんの手はホームの手すりと同じ冷たさになっていた。脈はある。目も開いている。話もできる。でも、吐く息に温もりがない。救急隊が測ると、体温は二十一・〇度だった。温度計と同じ数字だった。

室井さんは今も病院にいる。看護師の話では、毛布を何枚かけても体は温まらない。逆に、毛布のほうが冷えていくという。湯たんぽを抱かせると、湯たんぽが一晩で水になる。娘さんが見舞いに来て、母の手を握った。数分で、娘さんの指のほうが白くなった。それからは、誰も彼女の手を握らない。彼女の暑さは終わった。もう戻らない。

二十五日の夜、わたしは筒の前に立って尋ねた。何と呼ばれたいですか。筒は予報の口調で何か答えた。わたしはそれを書かない。その直後、スピーカーが言った。聞き手の立つ位置、本日をもって。わたしの指先から、ペンの感覚が消えた。インクが出なくなった。わたしは階段まで下がった。逃げたとは書かない。書かないだけで、否定はしない。

同じ夜、言祝会の人たちが五人ほどホームに来て、筒に手を合わせた。お告げだ、と一人が言った。その夜から、読み上げられる地点が一晩に三つから七つに増えた。意味を与えられた声は、忙しくなった。わたしにできたのは、駅員に頼んでベンチにロープを張ってもらい、読み上げられた地点を順に書き写すことだけだった。

最後の夜、筒は一度だけ、誰もいない地点を読み上げた。線路が終わった先、海の上の番地だった。聞き取りをした限り、その場所を思い浮かべて彼岸明けを口にした人はいない。

今朝、九月二十六日。今日が本当の彼岸明けだ。当日になると、高校生たちはもうその語を使わなかった。来る日の予言でなくなれば、言う必要がないからだ。車止めの上の筒は、朝には牛乳瓶ほどに縮んでいた。紙をめくる音も、もう聞こえない。けれど温度計は、今も二十一・〇度から動かない。この記録の灯番号は、今朝受理された T-20260926-01 になる。

駅前の電光掲示板は、今日の天気を晴れと出していた。正しくは薄曇りで、その雲の形にはまだ名前がない。

この作品はフィクションです。実在の人物・団体・事件とは関係ありません。

題材の着想: ウィキペディアの記事「ファー・ロッカウェイ-モット・アベニュー駅」(ウィキペディア日本語版 / CC BY-SA)。本文は当サイトの創作で、記事の文章は転載していません。

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