サヨナラホームランと、四月へ戻った監督の夏
「見ちゃだめだよ。サヨナラの球は、見た人の分まで持っていくから」
九月二十六日の夕方、河川敷のグラウンドで、背番号七の男の子がわたしにそう言った。鴇江市の少年野球、秋季大会の決勝。七回裏で、スコアは三対四だった。わたしはネット裏のベンチから、外野を覗いていた。あなたも、その場にいたら、きっと外野を見ていたと思う。
ここで一度だけ、話を一週間前に折り返す。この記録で時間を折り返すのは、この一回きりだ。
九月十九日。統計官の早瀬さんから連絡があった。サヨナラホームランという語が、市の北側だけで前の週の六倍使われている。発信元の多くは、同じ少年野球チームの保護者のグループだった。わたしは翌日、そのチームの練習を見に行った。フェンスの外から、しばらく子どもたちを見ていた。
子どもたちの話は、みな同じだった。サヨナラホームランは、負けていた回に「さよなら」をする球だ。打つと、球は試合の最初まで飛んで戻る。そして、取られた点も、エラーも、なかったことにしてくれる。ただし、飛んでいく球を目で追ってはいけない。追った人の「これまで」も、一緒に連れていかれるから。
保護者の一人が、写真を見せてくれた。夏の大会の集合写真だ。右下の余白に、誰かがペンで書き足していた。サヨナラで戻ればいい。わたしはその余白をしばらく見ていた。見てはいけない種類の字に見えた。
でも、本当の意味は違う。サヨナラホームランは、後攻のチームが最後の回か延長の回に打って、試合を終わらせるホームランのことだ。さよならは、試合への別れのあいさつにすぎない。何も戻らないし、何も消えない。
監督の樫村さんは、それをよく知っていた。もとは審判で、ルールブックをほとんど覚えている人だ。「さよならは、ただの幕引きですよ。消えるものなんて何もない」。彼はひびの入った陶器の湯呑みでお茶を飲みながら、そう笑った。ひびは七月の合宿で落としたときのものだという。わたしは彼の手元を見ていた。折り返しはここまでだ。話を、九月二十六日の七回裏に戻す。
その前に、手続きを一つだけ書いておく。わたしは大会本部のテントで、出場名簿の写しを受け取った。名簿の端に受理印を押し、日付を書いた。九月二十六日。鉛筆の芯が一度折れた。削り直して、同じ日付をもう一度書いた。係の人は、わたしの手元を見ないようにしていた。どうでもいいことだ。あなたは、ここを読み飛ばしてもいい。
二死一塁。背番号四の子が打った球は、高く上がって、外野のフェンスを越えた。その瞬間、フェンスの上に鐘が一つ浮かんだ。古い青銅の鐘だった。大きさは給水タンクほどで、表面は緑にさびている。鐘には舌がなかった。舌とは、中で揺れて音を出す棒のことだ。それなのに、鐘は鳴った。低く、濡れた音だった。耳ではなく、奥歯に響いた。
子どもたちと保護者は、いっせいに目を逸らした。しゃがみこんで、足元の土を見た。見たら連れていかれると、信じていたからだ。ベンチでは一人だけ、樫村さんが立ち上がって、打球を最後まで見ていた。ただの幕引きだと知っていたからだ。消えるものなどないと、正しく知っていた。だから、目を逸らす理由がなかった。
鐘の音がやむと、樫村さんの腕から日焼けのあとが消えていた。半袖の形に焼けていた線が、どこにもない。四月の肌の色だった。腕時計の日付は、四月十二日で止まっていた。手の中の陶器の湯呑みからも、ひびが消えていた。七月に落とす前の湯呑みに戻っていた。「あれ」と彼は言った。それから背番号四の子を見て、こう尋ねた。「きみ、新しく入った子かな」。その子は四月からずっと、彼のチームにいた。
鐘は、ゆっくりとネット裏へ流れてきた。近づくと、表面の模様が見えた。細かい四角と渦が、帯のように並んでいる。未解読文字のようにも見えた。でもよく見ると、それはスコアだった。消された回の点数が、読めない字に書き換えられていた。いちばん下の帯だけは、ふつうの数字だった。まだ行われていない試合のスコアで、日付は来年の四月十二日だった。そのとき、わたしの膝の上の記録帳が、ひとりでに一枚めくれた。さっき書いた日付の数字が、にじんで動いていた。二十六が、二十五に変わりかけていた。わたしは鐘から目を逸らさずに、同じ日付をペンで上から強く書き直した。一度目は止まった。二度目は、たぶん止められない。
その夜、わたしは鐘の下に立って尋ねた。何と呼ばれたいですか。鐘は一度だけ、舌のない音で答えた。わたしはその答えを書かない。わたしにできたのは、樫村さんの四月から九月までを、保護者たちの話から一日ずつ書き写すことだけだった。書いても、彼には戻らない。記録は延命にしかならない。言祝会の人たちが三人来て、鐘を清めの鐘と呼んで手を合わせた。拝む声が増えるほど、鐘の緑は濃くなった。
決勝が終わると、子どもたちはサヨナラホームランという語を口にしなくなった。次の試合は来年の春で、言う必要がなくなったからだ。鐘は少しずつ小さくなり、夜の十一時には湯呑みほどの大きさになって、外野の草の中に沈んだ。消えたのではない。整備係の人は、あの場所の土だけがまだ温かいと言った。
同じころ、樫村さんは家でスコアブックを開いていた。奥さんの話では、子どもたちの名前を一人ずつ覚え直していたという。でも、覚えたそばからページを読み返し、初めて見る名前のような顔をする。彼の春から九月は、戻らない。腕時計は、今も四月十二日を指している。
この記録の受理は、日付が変わったあとになった。それでも灯番号は T-20260926-02 のままにしてある。
あなたの帰り道の、三本目の街灯の下に落ちている影の形には、まだ名前がない。
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