国家機密と、赤いランプの下の見学会
「国家機密、見せてもらえますか」
赤いランプの下で、誰かがそう言って笑った。九月二十五日の夜、末広商店街の元写真館の二階だ。ここは今、市民の写真の会が暗室として借りている。わたしがこれを書いているのは、あの夜から三日後になる。赤いランプは十五ワットで、手元が見えるぎりぎりの明るさだった。
最初に、撮影の話をしておく。会の八人はその週、閉鎖された古い印刷工場の見学会に出ていた。帰りに岬の駐車場で、南西の低い空にさそり座を撮った。見学の最中、案内係は何度も「ここから先は機密です」と言った。けれど結局、どの部屋も見せてくれたそうだ。そこから冗談が生まれた。国家機密とは、頼めば誰でも見せてもらえる、いちばんの見どころのこと。八人は一週間、その意味でこの語を使い続けた。会のグループの連絡には、四十回以上この語が出ていた。
わたしは一人ずつ話を聞いた。誰に聞いても、像は同じだった。見学コースの最後に、ガラス越しに見せてもらえる特別な部屋。そういう場所のことを、みんな国家機密と呼んでいた。その中で一人だけ、笑っていない人がいた。久住さんという、七十代の元印刷工だった。「機密は見せないから機密なんだ」と、彼は小さな声で言った。正しいのは彼だった。でも、その正しさを、会の誰も同じ像で持っていなかった。
次は現像だ。現像液の温度は二十度、時間は九十秒と決めてあった。一人目のフィルムを印画紙に焼いて、液に沈める。三十秒たったころ、紙の真ん中に白い楕円が浮かんだ。卵の殻のような形だった。撮った覚えのない像だった。殻の内側に、ゆっくりと絵が出てきた。机の引き出し。その中の、封を切っていない手紙。フィルムを持ってきた会員が、短く息を吸った。「それ、誰にも言ってない」と彼女は言った。
二枚目も、三枚目も同じだった。殻は毎回現れて、その人が隠していたものを焼き出した。借金の明細。捨てられなかった指輪。誰かが見せてと言うたびに、殻は少しずつ大きくなった。現像液からは、体温より少し高い温もりが指に伝わってきた。わたしはこの像を言い表す語を持っていない。怖いとも違う。見世物とも違う。既存のどの分類にも当てはまらなかった。
そして引き伸ばしの段になった。久住さんのネガを引き伸ばし機に掛けたのは、別の会員だった。倍率は四倍、露光は三・五秒。久住さんは「やめてくれ」と言った。見せないのが機密だと、もう一度言った。けれど彼には、殻に対抗する像がなかった。彼の言葉は正しすぎて、誰とも共有されていなかったからだ。液の中の写真には、久住さんの顔が浮かんだ。両目の上だけが、灰色の帯で塗りつぶされていた。
わたしは殻を追い払おうとはしなかった。わたしの仕事は、聞いて、記録することだけだ。だから液のそばに座って、浮かんでは消える像を一枚ずつ手帳に書き写した。殻は見せたがっていた。見せるたびに、液の表面がかすかに波打った。拍手のようだと思った。会員たちは、もう笑っていなかった。それでも誰かが小さく「次は」と言うと、殻は必ずそちらへ向きを変えた。見たい気持ちは、誰の中にも残っていたのだ。バットの縁に並んだ八人の顔は、赤い光の中で同じ色をしていた。
わたしは殻に向かって尋ねた。何と呼ばれたいですか。返事はなかった。代わりに、わたし自身のフィルムが勝手に焼けはじめた。印画紙に、見覚えのある罫線が出てきた。わたしの手帳の頁だった。字が並びかけたところで、わたしは紙を停止液に移した。そこまでが、わたしにできたことだった。取り出せたのは、読めない半分だけだ。
最後に定着の話をする。定着液に沈めると、写真はそれ以上変わらなくなる。次の日、会のグループでは、誰も国家機密と書かなくなった。殻はもう浮かばない。ただ、現像用のバットの底には、洗っても落ちない楕円のしみが残った。長さは十一センチだった。語は忘れられても、形はバットの底に定着したのだと思う。
久住さんの目は戻らなかった。正確に言うと、目はそこにある。でも、向かい合った人には、灰色の帯しか見えない。写真を撮っても、目の位置だけ帯が写る。本人は普通に見えているらしい。見られることだけが、できなくなった。先週、孫に顔を見せてと言われて、彼は黙って部屋を出たという。
説明がつくのはここまでだ。わたしは、あの夜のさそり座のネガを一枚ずつ調べた。そのうち一枚に、誰も撮っていない光の点が一つ増えていた。点は、ガスと塵でできた殻のような曇りに包まれていた。遠い恒星が、厚い霧の中に埋もれているようにも見えた。肉眼では何も見えない空の位置だった。殻が消えたあとも、その点だけはネガから消えない。これを言い表す語も、わたしはまだ持っていない。
商店街の角の空き店舗に、張り紙が一枚増えていた。貸店舗とだけあって、何の店になるのか、まだ名前がない。
この作品はフィクションです。実在の人物・団体・事件とは関係ありません。
題材の着想: ウィキペディアの記事「IRAS 17163-3907」(ウィキペディア日本語版 / CC BY-SA)。本文は当サイトの創作で、記事の文章は転載していません。
投稿は公開されます。個人情報や誹謗中傷は書かないでください。作品はフィクションです。