引き分けと、分けられた水面

引き分けと、分けられた水面

語現体鴇江市引き分け記録

飼育日誌の八月十九日の欄に、こう書いてあった。カワウソ舎、異状なし。二頭とも良好。給餌完了。筆跡は落ち着いている。異状なし、の四文字にも迷いがない。

同じ日誌の八月二十日の欄には、こうあった。カワウソ舎、異状なし。四頭とも良好。給餌完了。数字だけが変わっていた。二が四になっていた。それ以外は一字も違わない。

わたしは受理票にT-20260820-02と書いた。届出人は市立動物園の飼育員で、五十代の男性である。彼は二頭が四頭になったことを、事故として届け出たのではなかった。日誌の書き方が分からなくなった、という理由で届け出ていた。

増えたのではありません、と彼は言った。分けられたんです。

七日前から、市中で引き分けという語をよく聞くようになっていた。試合の結果を伝える言い回しである。それが日常へ滲み出し、話が途中で終わったときにも、片づかない用事にも使われるようになった。引き分けだったね、と人は言う。勝ちも負けもしていない、という意味で言っているつもりでいる。

しかし、引き分けという字は、引いて分ける、とも読める。読める、というだけのことである。語の意味とは関係がない。関係がないのに、そちらの像のほうが人の頭に残った。

早瀬の集計では、七日間で使用が六倍を超えていた。そのうちの九割で、話し手は勝敗の話をしていなかった。区切りがついた、という意味で使っていた。意味と字面がずれた分だけ、像は字面のほうへ寄る。寄りきったところで閾を超える。

閉園放送のあとに、見回りをした。来園者数は掲示板に三百十二と出ていた。前日は三百十一である。一人増えている。増えた一人がどこから来たのかは、券売の記録では追えなかった。

放飼場の池に、浮かんでいる草があった。小さな緑の粒が、水面を一面に覆っている。園の資料では、この草は花を咲かせずに増えることのほうが多い、と説明されていた。株が二つに分かれ、分かれた両方がそのまま生きる。減らずに増える。

わたしは柵の外に立った。規定では、聴取は柵を越えずに行う。越えなければならない理由が生じたことは、これまで一度もない。

水面を見ていると、境目が分かった。池の右半分と左半分で、草の並び方が違う。同じ草である。同じ密度である。それでも、どこかで一度、引いて分けられたことが分かる並び方をしていた。分けた線は残っていない。分けられた結果だけが残っている。

何と呼ばれたいですか、と、わたしは柵越しに尋ねた。

返事はなかった。返事の代わりに、水面の草が二つの群れに離れた。離れたあと、どちらの群れも欠けていなかった。根の数まで同じに見えた。わたしは規定どおり、答えを記録しなかった。

飼育員は、四頭とも同じだと言った。同じ食べ方をする。同じ時刻に同じ場所で眠る。呼べば四頭とも同じ反応をする。個体を見分ける記号が、二つぶんしかないのに、四つ必要になっていた。

彼は正しかった。増えていないのだから、届け出るべき損害は無い。彼は動物のことをよく知っていた。よく知っているから、二頭が四頭になっても、どの一頭も失われていないことがすぐに分かった。分かったので、彼は何も要求しなかった。要求しない届出は、局の手続きでは最も下に積まれる。

知らない人なら、二頭が消えて別の四頭が来た、と言ったはずである。そう言えば捜索が始まる。捜索は無駄だが、少なくとも誰かが動く。正しく分かっていた彼だけが、誰も動かせなかった。

撃退の方法は無い。方法という語が、そもそもこれには当てはまらない。できるのは三つだけである。離される速さを測ること。離されたものを両方とも記録すること。そして、元に戻らないと知っている人のそばにいること。

三つとも、終わらせるための行為ではない。

日誌の続きを、彼は書けずにいた。四頭と書けば、二頭だった日々の記録が嘘になる。二頭と書けば、今そこにいる二頭が居ないことになる。どちらを書いても、書かなかったほうが消える。彼はその晩、欄を空白のままにした。空白は嘘ではない、と言った。

わたしはそれを、正しい判断として記録した。正しいが、役には立たない。

白河が、両方とも記録すればいいのではないですか、と言った。わたしは、そうですねと答えた。答えてから、両方を記録した時点で二頭だった記録が一つ減ることになる、と付け足した。記録は増やせる。減った分を戻すことはできない。

獣舎の裏には、給餌の器が並べてあった。器は八つあった。前の週の写真では四つだった。飼育員は器を足した覚えが無いと言った。足していないのに数だけが合っている。合っているほうが気味が悪い、と彼は言った。わたしはその一文を、そのまま受理票に書き写した。

局にできることは、隠すことだけである。この件も、動物園の来園者には知らせない。知らせれば人が語る。語れば像が濃くなる。濃くなれば、次に分けられるものが増える。防げないのに広げることはできる、という一点で、局は今日も無力だった。

帰りに、券売所の脇の自動販売機の前を通った。釣り銭の受け皿に十円玉が二枚あった。前に通ったときには一枚だったと思う。思う、というだけである。数えていなかったので、記録には残さないことにした。

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題材の着想: ウィキペディアの記事「ウキクサ属」(ウィキペディア日本語版 / CC BY-SA)。本文は当サイトの創作で、記事の文章は転載していません。

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