ずぶ濡れと、乾かない鉢

ずぶ濡れと、乾かない鉢

語現体鴇江市ずぶ濡れ記録

八月二十二日の夕方、市民農園の管理小屋に受理票を持って行った。届出人は世話人の女性で、六十代である。小屋の軒からは雨が糸のように落ちていた。わたしは灯番号にT-20260822-02と書いた。

夕方のうちに、彼女は自分の記録帳を出してきた。表紙に日照と書いてある。彼女はそれを光度曲線と呼んでいた。晴れた日を長い線、曇りを短い線で引き、月末に線の長さを足す。四十年ぶんある。畑の土は黒く、炭素質のものを毎年混ぜていると言った。鉢は決まった向きで回す。彼女はそれを自転周期と呼んでいた。七日で一周する。日の当たり方が偏らないようにするための、ただの手順である。

雨の音が強くなったところで、彼女は話しはじめた。わたしは相槌だけを打った。

六日前の夕方から、この市で急な雨が続きましてね。傘をさしても意味がないような降り方でした。買い物から帰ってきた人がみんな、ずぶ濡れだと言うんです。ずぶ濡れ、ずぶ濡れと、どこでも聞きました。わたしも言いました。それが、だんだん雨の話でなくなってきたんです。疲れた人が、今日はずぶ濡れだと言う。うまくいかなかった人が、もうずぶ濡れですよと笑う。濡れていないのに言うんです。外から濡れたという意味では、もう誰も使っていませんでした。ずぶ、というのは、深いところまでという言い方でしょう。だから内側まで来ている、という意味で通じるようになっていました。わたしもそう聞いて、そう言っていました。四日前の朝、水やりをしたときです。いつもどおり、鉢の縁からゆっくり回して入れました。水が下から抜けるのを待って、受け皿を空けます。それだけのことです。ただ、その日から鉢が乾かなくなりました。三日待っても乾きません。日に当てても、風を通しても同じでした。土の表面は乾いているように見えるんです。触ると乾いています。それなのに、指を入れると中が濡れている。外側だけが乾いて、中がずっと濡れているんです。逆なんですよ。雨に濡れたなら外から乾いていくはずでしょう。これは、内側から濡れてくるんです。

夜になって、彼女は一度言葉を切った。それだけです、と言った。

同じ夜、わたしは鉢を見せてもらった。乾かない鉢は十二あった。どれも同じ育ち方をしていた。葉が増える速さが、記録帳の線と合っていない。彼女の光度曲線では、この時期は伸びが止まる。止まるどころか、七日で一周するはずの自転周期が間に合わなくなっていた。回して日を当て直すころには、もう次の葉が出ている。手順のほうが遅れる。彼女は回すのをやめなかった。やめても戻らないことは、彼女にはもう分かっていた。

翌朝、早瀬の集計が届いた。市内でのずぶ濡れという語の使用が、六日間で例年の五倍を超えていた。そのうちの八割で、話し手は雨の話をしていなかった。内側まで参っている、という意味で使っていた。字義と像がずれた分だけ、像は字面のほうへ寄る。ずぶ、という音が連れてきたのは、深さの像だった。二十六日以降に言及が減れば、濡れが進む速さは落ちるという予測が付いていた。予測であって、確認ではない。グラフの下の端には、いつもの小さな揺れが乗っていた。

昼過ぎに、わたしは畝のあいだに立った。規定では、聴取は畝を踏まずに行う。姿は無い。水をやったところにだけ、それは居る。器から出た水が土に触れる瞬間に、外からではなく内側から濡らす。濡らされたものは乾かない。乾かないまま、育つのをやめない。

昼のうちに、何と呼ばれたいですかと尋ねた。返事はなかった。返事の代わりに、いちばん端の鉢の土が、内側からゆっくりと色を変えた。わたしは規定どおり、答えを記録しなかった。

夕方、白河が測りに来た。直径を測ると前日より大きい。ところが重さは変わらない。水を含んで乾かないのに、重くならない。白河は測り直し、それから測るのをやめた。数字が合わないのではなく、数字の意味が変わってしまっている、とわたしは書いた。

同じ夕方、世話人はよく分かっている人だった。四十年ぶんの記録がある。だから彼女は、これを病気とも虫とも取り違えなかった。取り違えなかったので、農協にも市にも届けなかった。届けても書く欄が無いからである。分かっている人ほど、要求することが無くなる。要求の無い届出は、局の手続きでは最も下に積まれる。何も知らない人なら、枯れた枯れたと騒いだはずだ。騒げば誰かが来る。来ても無駄だが、少なくとも誰かが動く。彼女だけが、誰も動かせなかった。

止める方法は無い。方法という語が、そもそもこれには当てはまらない。できるのは三つである。濡れが進む速さを測ること。乾かない鉢を全部記録すること。そして、乾かないと知っている人のそばに居ること。三つとも、終わらせるための行為ではない。

花の時期の終わりごろから、薄れは始まるはずだと早瀬は書いていた。花が終われば人は畑の話をしなくなる。話さなくなれば語も減る。減れば像も薄くなる。ただし薄くなるのは像のほうであって、既に濡れたものが乾くわけではない。彼女はそれを聞いて、はい、と言った。それから、乾かないほうがいいこともありますよ、と言った。わたしはその一文を、そのまま受理票に書き写した。

夜、帰り道で軒下を通った。局にできることは隠すことだけである。この件も市民には知らせない。知らせれば人が語る。語れば像が濃くなる。濃くなれば、次に濡れるものが増える。防げないのに広げることはできる、という一点で、局は今日も無力だった。

小屋の脇に、明かりが一つ増えていた。前に通ったときには無かったと思う。思う、というだけである。数えていなかったので、記録には残さないことにした。今日は一日じゅう雨だった。いや、夕方の少しのあいだだけ、上がっていた。

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題材の着想: ウィキペディアの記事「(1082) ピロラ」(ウィキペディア日本語版 / CC BY-SA)。本文は当サイトの創作で、記事の文章は転載していません。

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