放送予定のない枠

放送予定のない枠

語現体鴇江市皆泳番組表

市民プールの壁には、古い目盛りが刻んである。誰も入っていない朝に、水位が一目盛り上がっていた。

灯番号 T-20260814-01。受理は八月十四日の午前七時十分。書式の日付欄には八月十三日と印字されている。深夜受理の扱いだと、窓口の人は言った。

申請は鴇江市東地区の有線放送組合からだった。便箋ではなく、番組表の裏に書いてある。表を返すと、時刻と枠番号だけが縦に並んでいた。題名は書いていない枠がいくつかある。

六時〇〇分。体操。

六時三十分。連絡事項。

十二時〇〇分。昼の音楽。

十八時〇〇分。夕の連絡。

二十二時〇〇分。休止のお知らせ。

二時〇〇分。

最後の枠だけ、題名の欄が空いている。

「昔は休止の告知だったんです」と、組合長の戸倉さんが言った。「休止って言葉を使わなくなって、枠だけ残りました」

早瀬さんの統計では、この一週間で「皆泳」という語の使用数が東地区だけ跳ね上がっていた。市全体では変化がない。八月十四日にちなんだ行事があるためだという。「狭い地域で、同じ書式が三十年です」と早瀬さんは言った。「揃わないほうがおかしいくらいです」

皆泳という語は、地域の全員が泳げるようになることを目指す言葉である。全員が同時に水へ入るという意味ではない。それを戸倉さんに伝えると、戸倉さんは首をかしげた。

「うちの放送では、ずっと同時のことです。時刻の欄がありますから」

番組表の枠には連番が振ってある。東地区は一番から始まり、三十二番で終わる。三十三番からは隣の地区の放送になっている。路線記号のようなものだと戸倉さんは説明した。時刻表を作った人が書式を流用したのだと。番号は隣の地区の放送へそのまま続いていて、直通運転のように途切れない。

隣の地区の放送局は、十二年前に無くなっている。

組合の倉庫に、当時の番組表が束で残っていた。三十三番から六十四番までが隣の地区の枠で、書式は東地区とまったく同じだった。時刻の欄も、枠番号の欄も、題名の欄も、同じ位置にある。違うのは印刷の色だけで、東地区は青、隣は赤茶だった。

「色を分けたのは、どっちの地区の枠か一目でわかるようにです」と戸倉さんは言った。「番号は続きですから、色がないと混ざるんですよ」

束の一番上の紙にも、深夜二時の枠があった。題名の欄は空だった。

それでも三十三番から先の番号は途切れていない。次の地区の番号から、何事もなく再開している。

水位は姿を持たない。目盛りだけが動く。

誰も入っていない時間帯に、水位は少しずつ上がる。上がった分だけ、地区のどこかで水道の出が細くなる。細くなった家の人は気づかない。翌朝には戻っているからだ。

わたしは目盛りの前に立った。皆泳の意味を、正しいほうで思い浮かべた。全員が泳げるようになること。同時であるかどうかは、その語のどこにも入っていない。

水位は動かなかった。

動かないだけだった。下がりはしない。

「止められたんですね」と戸倉さんが言った。わたしは首を振った。止めたのではない。わたしの前でだけ、それが起きなかった。目盛りの前を離れれば、また上がる。理解している者は、自分の立っている場所しか守れない。

「止められたんですね」と戸倉さんが言った。わたしは首を振った。止めたのではない。わたしの前でだけ、それが起きなかった。目盛りの前を離れれば、また上がる。理解している者は、自分の立っている場所しか守れない。

戸倉さんは納得しなかった。「でも、あなたが立っていれば上がらないんでしょう」

そうです、と答えた。ただし、わたしがここに立っているあいだ、地区の三十二の枠のうち三十一は誰も見ていない。守れる場所は一つだけで、残りは数に入らない。それを説明する言葉を、わたしは持っていなかった。

名簿を見せてもらった。東地区の泳げる者の数が、末尾に書いてある。

三十年前と同じ数だった。転入も転出もあったのに、数だけが動いていない。

「毎年書き写してるんですよ」と戸倉さんは言った。「間違いがあったら困りますから、前の年のを見ながら」

写し間違いを防ぐために前の年を見る。前の年も、その前の年を見て書かれている。三十年さかのぼっても、どこにも元の数を数え直した年は無い。数は継承されているだけで、確かめられてはいない。

「じゃあ、いま何人泳げるんですか」と尋ねた。戸倉さんは名簿の末尾を指した。そこに書いてあるのは、三十年前の数だった。

水位が目盛りの上端に届いた晩、深夜二時の枠から音が出る。組合の記録にそう書いてある。何の音かは書いていない。題名の欄と同じで、そこは空のままだった。

わたしは戸倉さんに尋ねた。この放送は、何と呼ばれたいですか。

戸倉さんはしばらく黙ってから、「番組表のとおりです」と答えた。わたしはそれを記録しなかった。

行事の週が終われば使用数は落ちる。像は薄れると予測されている。予測であって、確認ではない。三十年前にも同じ予測が書かれていた。

帰りに市民プールの前を通ると、目盛りはまた一つ上がっていた。

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題材の着想: ウィキペディアの記事「小田急小田原線」(ウィキペディア日本語版 / CC BY-SA)。本文は当サイトの創作で、記事の文章は転載していません。

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