左利きと、海に近いほうの手

左利きと、海に近いほうの手

語現体鴇江市左利きの日

引き潮の浜に、子どもの運動靴が片方だけ落ちていた。左足のものだった。

「毎年これが出るんですよ。誰の物でもないんです」と、町内会長の畑中さんがそれを拾い上げた。

灯番号 T-20260813-02。受理は八月十三日の午後六時二十分。

申請は鴇江市の南、浜通り三丁目の町内会からだった。書式は市販の便箋で、末尾に「左利きの日にちなみ」と一行だけ添えてある。八月十三日が左利きの日であることは、イギリスの団体が定めた記念日として広く知られている。町内会はそれを毎年の行事にしていた。

早瀬さんの統計では、この一週間で「左利き」という語の使用数が浜通り一帯だけ跳ね上がっていた。市全体では変化がない。「地域が狭いほど像が揃いやすいんです」と早瀬さんは言った。「ここは揃いすぎています」

わたしが浜に着いたのは午後七時だった。砂が濡れて光っていた。

「捨てないんですか」

「捨てませんよ。奉納しますから」

畑中さんは浜の端の小さな祠を指した。屋根の下に、片方だけの靴が何十と並んでいた。左足ばかりだった。「ああして置いておくと、依り代になるんだそうです」と畑中さんは言った。誰から聞いた話かは、もう分からないという。

聞き取りは町内会館で行った。お茶とせんべいが出た。集まったのは八人で、全員がわたしに座る場所を勧め、全員が「遠いところをすみませんね」と言った。

わたしは「この町で左利きというのはどういう人のことですか」と尋ねた。

畑中さんが答えた。「海に近いほうの手を先に出す人のことです」

「利き手のことではないんですか」

「利き手ですよ。海に近いほうの手が利き手なんです」

隣の席の坂上さんが補った。「浜を北へ歩けば海は左です。だから北へ歩く人は左利きです。南へ歩けば右利きになります」

「同じ人が、歩く向きで変わるんですか」

「変わりますよ。当たり前でしょう」

八人が同時にうなずいた。誰も冗談を言っている顔をしていなかった。全員が親切だった。坂上さんはわたしの湯呑みにお茶を足し、畑中さんはせんべいの袋をこちらへ寄せた。

わたしは記録に書いた。この町では「左利き」は、体の性質ではなく、海に対する向きを指す語として使われている。四十年以上、同じ意味で使われてきた。町内会の名簿には「利き手」の欄がなく、代わりに「歩く向き」の欄がある。

祠へ靴を奉納する行事も、名簿と同じだけ続いていた。豊漁を願う趣旨だったが、いまは誰も願いの中身を口にしない。片方だけの靴を依り代として置く、という手順だけが残っている。

像は、そこで揃っていた。

日が落ちてから、水面に光が出た。

魚の鱗が並んでいるような、細かくて硬い光だった。それが浜と平行に、ゆっくり北へ動いた。光の下に何かがいるのは分かったが、輪郭は最後まで見えなかった。

畑中さんが「今年も来ましたね」と言った。声に恐れがなかった。

「あれは何をするんですか」

「決めるんです。こちらの向きを」

光が浜へ寄ると、そこにいた者の体が、ひとりでに向きを変えた。北を向いていた人は北のまま、南を向いていた人は南のまま、それぞれの利き手が決まった。決まった側の手が、少しだけ軽くなるのだという。

わたしの隣に、市外から来た大学生がいた。町内会の孫だという。彼は「利き手は生まれつき決まっていて、向きでは変わりません」と言った。正しかった。医学的にも、日常の意味としても、彼の言うとおりだった。

光は彼の前で止まらなかった。素通りした。

彼は困った顔で自分の両手を見て、それから祖母を見た。祖母は「あなたは決まらないのね」と言った。責める調子ではなかった。むしろ気の毒がっていた。

「決まらないと、どうなるんですか」

「どちらの手も軽くならないだけですよ」と畑中さんが言った。「悪いことは何もありません」

そのとき、水面の光が短く強くなった。大学生の足元の砂が、こぶし一つぶん、音もなく沈んだ。彼は気づかなかった。周りの八人も気づかなかった。わたしだけが見た。

沈んだ穴から泡が出た。海水ではなかった。乾いた砂から泡が出ていた。

わたしは光に向かって尋ねた。「何と呼ばれたいですか」

光は答えなかった。ただ、鱗のような粒がひとつずつ順に消えて、また順に灯った。順番が二度、同じだった。わたしはそれを書き留めたが、意味は分からない。

それから一時間、わたしは浜に座って聞いていた。畑中さんが横に来て、四十年前の話をした。最初にこの意味を使ったのは、耳の遠かった漁師だったという。「海に近いほうの手」と言えば伝わりやすかった。それだけの理由だった。理由はそれだけで、悪意はどこにもなかった。

わたしは退治の方法を知らない。持っていない。聞いて、書いて、隣に座っていた。それがこの仕事のすべてだった。

翌朝、潮が満ちて祠の下まで水が来た。並んでいた靴のうち、古いものから順に、五足が流れていった。町内会は追わなかった。

「毎年ですから」と坂上さんが言った。「そのぶん、また拾えますし」

八月十四日の統計では、「左利き」の使用数が前日の三割まで落ちていた。夏の行事が終われば語は使われなくなる。早瀬さんは、来年の同じ日まで像は薄れると予測した。予測であって、確認ではない。

薄れるが、消えはしない。祠の靴が全部は流れなかったのと同じである。

大学生は翌日の昼に帰った。見送りに出た八人が、全員「気をつけてね」と言った。彼は右手で荷物を持ち、左手を振った。どちらの手も軽くはなっていなかった。

祠の屋根の下で、誰も点けていない灯りが一つ増えていた。

引き潮は、置いていくものを選ばない。

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題材の着想: ウィキペディアの記事「梵天まつり (秋田県)」(ウィキペディア日本語版 / CC BY-SA)。本文は当サイトの創作で、記事の文章は転載していません。

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