帰省と、迎えに出た形

帰省と、迎えに出た形

語現体鴇江市帰省旧道の集落

「あれは迎えに出た形です」と、寄合所の火のそばで老人が言った。二月の午後三時、鴇江市の南、入り江ぞいの旧道の集落である。わたしが灯番号の日付を読み上げると、老人は湯呑みを置いて、それなら順に話しますと言った。ことははわたしの隣で、はいと短く相槌を打った。

冬の初め、積雪は二十センチだったという。この集落では十二月に入ると外の道が細くなり、家と家のあいだが遠くなる。老人の語りはここから始まった。以下はその語りの引き写しである。

「わたしがまだ若い頃から、この集落では帰省という言葉を少し違う使い方をしておりました。帰省というのは、郷里に帰ることでございましょう。それだけの言葉です。ところがここでは、帰ってきて迎えられることまでを帰省と申しました。誰も迎えに出なかった家に帰った者は、帰省したとは言わないのです。あの家は帰省が無かった、という言い方をいたしました。冬に帰る者が多い土地でしたから、迎えに出るのが当たり前で、そこを言葉のうちに数えたのでしょう。若い者が減ってからも、言い方だけは残りました。回覧板にも残り、集落の名簿の欄にも残りました。名簿には帰省の有無を書く欄がございまして、丸か罰かを書くのです。わたしはそれを四十年ぶん書いてまいりました。丸がだんだん減って、罰ばかりになった年のことを、いまでもよく覚えております。それだけです」

積雪が六十センチになった夜、老人はこう続けた。誤りはそこにあった。帰省という語は帰る側の動作を言う語であって、迎える側がいるかどうかを言う語ではない。それでもこの集落の四十七戸が、少なくとも四十年、同じ像でその語を使い続けた。語現体は迎えのほうで揃った。

「はじめに気がついたのは、道の雪でございました。二月の朝、うちの前の雪に足跡が付いておるのです。門から旧道の曲がりまで、行って戻る形で二本。うちには帰ってくる者がおりません。息子は十年前から便りもございません。それでも足跡は、迎えに出て、迎えて戻ってきた形をしておりました。歩幅が人のものではないのです。前の二つと後ろの二つが近くて、走り方が獣に似ておりました。馬のように、と申せばいいのでしょうか。膝までの雪であんな走り方はできません。それだけです」

積雪が八十センチと聞いた日、集落の若い衆が獣の話を持ち出した。この土地には昔から、ある熊の呼び名が二つあるという。集落での呼び名と、図鑑に載っている標準和名が別なのだそうだ。同じものに名が二つあると、どちらで呼ぶかで扱いが変わる。若い衆はそれを笑い話にしたが、老人は笑わなかった。

「熊の話ではございません。あれは熊の亜種などではない。獣なら、雪の上に匂いが残ります。犬が吠えます。あの晩、この集落の犬は一匹も吠えませんでした。吠えないものは、犬にとって居ないのと同じでございましょう。わたしは戸を細く開けて、門のあたりを見ておりました。雪が横に降っていて、外は白いばかりで何も見えません。見えないのに、迎えの形がそこに立っているのは分かりました。人の背丈で、腕を下げて、うちのほうを向いております。それが、息子の名を呼びました。わたしの声でした。四十年名簿に書いてきた声で、わたしが息子を呼んでおりました。それだけです」

受理はその翌日の朝で、灯番号の日付は雪が止んだ日になっている。日付が一日ずれた記録は、この冬に入って三件目である。わたしが門の前に立ったのは二月十一日の午前十時だった。雪はまだ膝の上まであり、足跡は二本のまま残っていた。触ると縁が硬く、ひと晩ぶん融けていない。

規定どおり、わたしは尋ねた。何と呼ばれたいですか、と。返事はない。代わりに、雪の上の足跡が門のほうへ一組だけ増えた。増えたのは、わたしが立っている側からだった。

老人の語りはここで一度切れた。二月の夕方、寄合所の窓が白くなる時刻である。ことはは湯を足しただけで何も言わなかった。老人は湯呑みを両手で持って、続きは短いですと言った。

「返事をした者がおります。三軒下の家の娘さんで、正月に一度だけ帰っておりました。二月の吹雪の晩に、母親の声で名を呼ばれて、はいと答えたそうです。戸を開けて、迎えの形について旧道を下って行かれました。母親は二年前に亡くなっております。娘さんはいまも帰っておりません。捜索はいたしましたが、足跡が旧道の曲がりで終わっておりまして、そこから先が無いのです。無いというのは、雪が消しているのではございません。曲がりの向こう側の雪だけが、降ったままの面をしております。誰も通っていない面です。あの子は曲がりまでは行ったのに、その先の雪を踏んでおりません。それだけです」

撃退の方法はない。できるのは三つだけである。足跡の縁が融ける速さを測ること。名を呼ばれても返事をしないこと。名簿の帰省の欄を消してもらうこと。三つ目は効かなかった。名簿から消しても、集落の者は口でそう言い続けた。言葉は紙より遅く消える。

集落に一人だけ、帰省を辞書どおりの意味で使う人がいた。三年前に町から移ってきた男である。帰ることと迎えられることは別だ、と彼はわたしに言った。言ったとおり、彼の家の前の雪には足跡が付かなかった。だが彼が老人の家の門を越えようとしたとき、足は雪に沈まなかった。沈まないまま、雪の上を滑って門の外へ戻された。正しく知っている人には、この雪が無い。無いものの上には立てない。だから助けにも行けない。

三月に入って、雪解けが始まった。旧道の雪が落ちて土が出ると、足跡は当然のように消えた。消えたのであって、無くなったのではない。曲がりの向こう側だけ、雪解けの水が流れずに溜まっている。集落の者はその水を汲まない。

早瀬の予測では、名簿の欄を書ける者が居なくなれば迎えの形は薄れるという。薄れるのであって、消えるのではない。呼ばれて行った者がどこへ行くのかは分かっていない。老人は今年も名簿の欄に罰を書いた。書く手が去年より遅くなっている。

寄合所を出るとき、老人はわたしの背中に向かって、お気をつけてと言った。わたしは返事をしなかった。

この作品はフィクションです。実在の人物・団体・事件とは関係ありません。

題材の着想: ウィキペディアの記事「ウマグマ (動物)」(ウィキペディア日本語版 / CC BY-SA)。本文は当サイトの創作で、記事の文章は転載していません。

コメント

投稿は公開されます。個人情報や誹謗中傷は書かないでください。作品はフィクションです。

同じタグのはなし