マッサマンと、呼ばれたことのない名前

マッサマンと、呼ばれたことのない名前

語現体鴇江市名前呼称

あなたは、名前というものを、その人より先に知ることがあるはずだ。会ったことのない誰かの名を、噂の中でだけ何度も聞く。顔を知らないまま、名だけが耳に馴染んでいく。あのときあなたが頭の中で組み立てていた輪郭を、少しだけ思い出してほしい。

受理は八月六日の夜だった。記録簿にはT-20260808-02とある。灯番号の日付が受理日と二日ずれている。この夏に入ってから八件目である。八件目、と書いて、わたしは前の七件を見返した。見返してから、数えるのはやめた。数えると増える月だった。

最初の届出は、末広商店街の乾物屋からだった。店主が言うには、客が三人続けて同じ言い回しをしたという。マッサマンさんが来てたよ、と。三人とも別の日に、別の時刻に、同じ調子で言った。店主は三人ともに聞き返した。誰ですか、と。三人とも答えられなかった。答えられないまま、いま来てましたよ、と繰り返した。

その語は本来、料理の種類を指す。人ではない。ただ語尾のマンが人を表すように聞こえ、頭のマッサが姓のように響く。二つが重なると、耳は勝手に人の形を作る。作った形は共有された。共有されたのは形だけで、顔も、年齢も、職業も、誰も持っていなかった。だから揃ったのは名前だけである。名前だけが、この街では十分だった。

わたしは記録の様式を確認した。第四課の受理票は三枚綴りで、一枚目が局控え、二枚目が届出者控え、三枚目が現地保管用になる。三枚目には受理者の署名欄がある。わたしはそこに署名をした。署名欄はいつも通り、名字だけを書く欄だった。書いてから、乾いたのを待って綴じた。手続きは、こういう順序で進む。

現地は乾物屋から二筋入った路地だった。日は落ちていた。街灯が二つあり、片方は消えていた。あなたも覚えがあると思うが、消えている街灯のほうを、人はつい見る。

路地の真ん中で、空気が一箇所だけ傾いていた。傾きは首の角度に似ていた。誰かが呼ばれて振り向いた、その途中の角度である。振り向いた誰かはいない。角度だけがそこにあった。わたしは近づき、規定どおり尋ねた。何と呼ばれたいですか、と。返事はなかった。返事の代わりに、角度がわずかに深くなった。深くなった角度は、わたしのほうを向いていた。

白河が後ろで息を止めたのが分かった。目を逸らしなさい、とわたしは言った。彼は逸らした。逸らしてから、どうしてですか、と聞いた。わたしは、見ていると呼びたくなるから、と答えた。答えながら、自分もその衝動を確かめていた。あった。名前が空いているのを見ると、人は何かを入れたくなる。

撃退の方法はない。方法という語がそもそも当てはまらない。できるのは三つだけである。人称としての使用比率を測ること。呼びかけた者を一人ずつ訪ねること。そして、誰にもその名を与えないまま、比率が下がるのを待つこと。三つとも、終わらせるための行為ではない。

訪ねた四人目で、事情が変わった。市場裏に住む六十代の男が、その名を自分の弟のものだと決めていた。弟は十年前に街を出ている。連絡は途絶えている。男は、あれはうちの弟の名だ、と三度言った。三度目を言い終えたとき、男は自分の名を言えなくなった。わたしが名簿で確認して読み上げると、男は、ああ、と言った。ああ、とだけ言って、それが自分の名だとは認めなかった。

近所の者は皆、その男の名を覚えていた。覚えているのに、誰も呼ばなかった。呼べば移る、と誰かが言い出し、その言い方がそのまま共有されていた。共有された言い方は、たいていの場合それ自体が正しい。誰が最初にそう言ったのかは分からない。分からないほうが、この種のものはよく効く。

早瀬の予測では、人称としての使用比率が下がれば角度の深化は止まる。止まるのであって、戻るのではない。空いたままの名前がどこへ行くのかは、記録がない。誰のものでもない名前が、それでも街のどこかで待っている。

帰り道、消えていたほうの街灯の下に、灯りが一つあった。街灯ではない。もっと低い位置で、もっと弱い。前に通ったときには無かった。誰も見ていない場所で灯りが増えるのは、この街ではよくあることである。よくあるが、記録には残す。わたしは残した。残してから、その灯りに名前を付けなかったことを、少し長く確認した。

受理票の三枚目に、わたしの署名がある。名字だけである。名前の欄は、この様式にはない。無いことを不便に思ったことは一度もない。あなたはどうだろうか。自分の名を、今日、何度声に出しただろうか。

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