懐きすぎてと、仕様に無い八番目
懐きすぎて困るんです、と男は言った。八月十八日、午前九時二十分である。第四課の窓口には、その言い回しで始まる相談が今朝だけで三件来ていた。三件とも、話しているのは画面の中の草のことだった。男は自分でも言いながら妙な顔をしていた。困る、という語を選んだ理由は、本人にも説明できないようだった。
男が遊んでいるのは、野草を集めて育てる遊戯だった。名は伏せる。局の記録では、流行している遊戯の名を書かないことにしている。名も語だからである。書けば、その語が増える。増えれば、閾に近づく。第四課の書式は、そういう考えで作られている。
遊戯の中には、季節ごとの組み合わせがある。秋の七草を七つ揃えると、画面の隅に短い文が出る。ただそれだけの仕掛けである。作った側は、そこで終わりのつもりだった。実際、仕様書の該当箇所は四行しかない。七つ揃える。文を出す。以上、と書いてある。
ところが遊ぶ側は、八つ目があると言い始めた。同じ株を三度続けて世話すると、次からはその株のほうが先に動く。先に動いた株だけを数えて育てていくと、七つには入らない八つ目が咲く。手順はいくつも出回った。どれも少しずつ違っていて、どれも同じ結論に行き着いた。向こうがこちらを覚えている、という結論である。
仕様書には無い。品種改良の項目を最後まで読んでも、株の側から動くという記述はどこにもない。試験のための遊び通しを何度やっても出ない。作った側は無いと言い、遊ぶ側はあると言った。両方とも嘘をついていなかった。
白河が、ただの噂ですよね、と言った。わたしは、そうですね、とだけ答えた。答えてから、噂だから起きるのだと付け足した。白河は、意味が分かりません、という顔をした。わたしはそれ以上説明しなかった。説明は輪郭を決める行為で、輪郭を決めれば、そのとおりのものになる。
懐くという語は、動物が人を覚えて近づくことを指す。覚える側がいなければ成り立たない語である。画面の草は覚えない。数の並びだからである。ここまでは、少し考えれば誰にでも分かる。
分かっている者ほど、この件では何もできなかった。作った側は仕様書を示して、無いものは無いと言った。言い分は正しい。正しいので、何も止まらなかった。正しさは、共有された像には届かない。届かないということを、わたしは十年かけて覚えた。
早瀬が数を出した。八月十四日から十七日までの四日間で、市内から出た投稿一万二千件のうち、二千百四十件にその言い回しが入っていた。同じ語が、同じ像を連れて使われている。像は、向こうがこちらを覚えている、という一つの形で揃った。揃えば、閾は越える。
受理は前日の夜だった。記録簿にはT-20260818-01とある。日付は今日である。受理は昨日である。灯番号の日付が一日ずれた記録は、この夏でもう十件目になる。十件目、と書いてから、九件目までを数え直した。九件あった。数え直せば合う。
現地は市の東、河川敷の外れだった。堤の斜面に、外から来て根を張った草が広がっている。図鑑では帰化と書かれる種類である。夏の終わりに小さな花をつける。遊戯の画面に出てくる草と、葉の形がよく似ていた。似ているだけである。似ているだけのはずだった。
わたしは規定どおり尋ねた。何と呼ばれたいですか、と。返事はない。返事の代わりに、斜面の草が一株だけ、風の来ない側へ傾いた。傾いたまま戻らなかった。わたしが二歩下がると、その株はもう二度、同じ向きへ傾いた。こちらが動いたあとで、向こうが動く。順番はいつもそうだった。
届出は四件ある。四人とも、端末の電源を落としたあとでも起きると書いた。世話をやめた者の画面でも続いている。更新が配られれば直るはずだ、と誰かが書き込んでいた。直すには、何が起きているかを書けなければならない。書式には再現手順の欄がある。四件とも、その欄が空白のままだった。
対処はしない。この種のものに、対処という語は当てはまらない。できるのは三つだけである。増える速さを測ること。書いた者を一人ずつ訪ねること。終わるまでのあいだ、そばにいること。三つとも、終わらせるための行為ではない。それでも記録には残す。残すことだけが、こちらにできる唯一のことである。
帰り道、堤の階段の上に灯りが一つ増えていた。前に来たときには無かった。誰も見ていない場所で灯りが増えるのは、この街ではよくあることである。よくあるが、記録には残す。
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題材の着想: ウィキペディアの記事「ヤマハギ」(ウィキペディア日本語版 / CC BY-SA)。本文は当サイトの創作で、記事の文章は転載していません。
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