今日も真夏日ですね

今日も真夏日ですね

語現鴇江市真夏日黙の夏

今日も真夏日ですね、と田尻さんが言った。玄関の三和土に立って、内側へは入らずにそう言った。ええ、と隣の奥さんが答えた。よかったですね、洗濯物がよく乾いて。田尻さんは笑って、ほんとうに、と言った。わたしはその横で聞き取りの手帳を開いていた。二人は同じ言葉を、順番を入れ替えて三度交わした。誰も急いでいなかった。

早瀬から回ってきた数字では、真夏日という語の使用がこの二週間で毎日増えていた。増え方が平らではなく、七月の後半に入ってから段になっている。閾に近いです、と早瀬は言った。それから、けれど気温は毎日違いますよ、と付け足した。三十一度四分の日と、三十度九分の日は、別の日です。早瀬はそういう言い方をする人だった。

商店街の裏で八人に会った。八人とも同じことを言った。どうせ同じような毎日ですから。同じ、というのは比喩ですかと聞いた。田尻さんが答えてくれた。いいえ、ほんとうに同じですよ。だって昨日も今日も真夏日でしょう。ほかの人も、そうそう、と言った。誰も困っていなかった。困っていない人が八人いた。像を作るには、それで足りる。

同日が出たのは、その夕方だった。姿は無い。気温と、音と、匂いの一式として来る。三十一度四分。蝉の鳴きやむ間の長さ。台所の排水口が乾きかけた匂い。それが前の日とひとつも違わずに揃うと、そこにいる人の一日が、前の一日と入れ替わる。

田尻さんはその晩、やかんで指を焼いた。小さな火傷で、奥さんが冷やしてくれた。よかったですね、大したことがなくて、と奥さんは言った。ほんとうに、と田尻さんは言った。翌朝、田尻さんの指には同じ火傷があった。できたての、まだ赤いままのものだった。その翌朝も同じだった。誰も心配しなかった。皆が、よかったですね大したことがなくて、と言った。

田尻さんのご家族に話を聞きに行った。息子さんは親切な人で、麦茶を出してくれた。母は変わりありません、と言った。昨日も一昨日も同じでしたか、と聞いた。息子さんは少し考えて、同じでした、と答えた。それから、どちらが昨日でしたか、と聞き返した。わたしは答えられなかった。息子さんは、まあ暑いですからね、と言って笑った。

お義母さんはお元気で何よりです、と奥さんが言った。ええ、おかげさまで、と息子さんが言った。よかったですね、変わりがなくて。ほんとうに。二人は同じ言葉を、順番を入れ替えて言った。台所では田尻さんが麦茶を注ぎ足していた。氷の音がした。昨日も同じ音がしましたか、と聞いてみた。息子さんは、どうでしょう、と言った。奥さんが、毎日おいしくいただいてますよ、と言い添えた。それで話は終わった。

夕食の支度が始まった。献立は素麺だった。昨日も素麺でしたか、と聞いた。田尻さんは、そうね、と答えた。おとといは。そうね。先週は。そうね。田尻さんは三度とも同じ顔で答えた。困った顔ではなかった。息子さんが、母は素麺が好きなんですよ、と教えてくれた。よかったですね、好きなものが食べられて、と奥さんが言った。ほんとうに、と田尻さんが言った。

早瀬は最後まで、日ごとの差を言えた。この日は湿度が六十二で、この日は五十八でした。風向きも違います。全部違うんです。早瀬の言うことは正しい。正しいので、同日は早瀬の前で立ち止まらなかった。立ち止まらずに、早瀬の日をまとめて持っていった。差は全部言えます、と早瀬は言った。ただ、どれを自分が過ごしたのか、わからなくなりました。声はいつもどおり平らだった。

わたしは同日に尋ねた。何と呼ばれたいですか。返事は無かった。台所の窓が一度だけ鳴った。それを答えとは書かなかった。退治の方法は持っていない。局にも無い。局は隠すことだけが上手で、防ぐことはできない。できるのは、そばにいて、聞いて、書くことだけだ。わたしは田尻さんの話を最後まで聞いた。同じ話を三度聞いて、三度とも書いた。

書いたものを局へ出したとき、受理の日付が前の日になっていた。灯番号の日付と、実際に受理された日が一日ずれている。前にも何度かあった。わたしは直さずにそのまま出した。直し方がわからなかったからではない。直すと、どちらが本当の日か決めることになる。

八月に入ると、真夏日という語を使う人は減った。減ると、同日は薄くなった。気温が揃わなくなり、蝉の間が合わなくなり、匂いが違ってきた。それでも消えてはいない。田尻さんの家の台所は、いまも夕方の同じ時刻だけ、去年の夏と同じ匂いがするそうだ。田尻さんの指の火傷は、いつのまにか治っていた。治った日がいつだったかは、ご家族の誰にも聞けなかった。

帰り道、誰も通らない路地の街灯が、一つ増えていた。数えたのは、そのときだけだ。

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