設営完了と、最後の一箱
設営完了です、と男の人が言った。八月十五日、午前十時を少し回ったところだった。東末広の新しい住宅区は、まだ道路の白線が濃かった。わたしは、おつかれさまです、とだけ答えた。答えながら、その語を今日何度目に聞いたかを数えていた。四度目だった。
一度目は区の入口の掲示板で読んだ。二度目は集会所の前で、台車を押していた女の人が電話に向かって言うのを聞いた。三度目は隣の棟の階段で。四度目がこの玄関先である。四度とも、話し手は同じ調子で言った。設営完了です、と。完了、という語が四度とも文末に来た。
設営完了という語は、置くべきものを置き終えた状態を指す。それだけの語である。その状態がいつまで続くかについては、何も言っていない。だが人はこの語を、もう動かさなくていいという合図として使う。完了という二字が、終わったものはもう変わらない、という顔をして立っている。
第四課に上がってきたのは、荷解きに関する届け出だった。届け出の様式は決まっていない。うちに来るのは、様式に収まらなかったものだけである。
最初の家は、玄関を入ってすぐの土間で話を聞いた。段ボールは番号順に積まれていた。一から十四まで、油性ペンで大きく書いてある。十四番だけが土間の真ん中に残っていた。
「順番に開けていったんです」と、その家の人は言った。「十三番まで、全部出しました。食器も、本も、冬のものも。それで、十四番を開けたら、中は空でした」
空の箱がなぜ残っているのかを、わたしは尋ねなかった。尋ねるべきなのは、その次のことだった。何と呼ばれたいですか、とわたしは箱に尋ねた。答えはなかった。答えは、いつもない。
持ち上げてみてください、と頼んだ。その人は十四番を持ち上げた。重かった、と言った。空なのに重いんです、と。それから箱を土間の隅に置いた。わたしたちは五分ほど別の話をした。冬のものを入れる場所がない、という話だった。
五分後、十四番は土間の真ん中に戻っていた。
誰も動かしていない。動かす音もしなかった。ただ、目を離して、また見たときには、最初の位置にあった。その人は、あ、と言ったきり黙った。わたしは記録用紙に、位置の復帰、と書いた。書きながら、この現象に名前を付けてはいけないと思っていた。名前を付ければ輪郭が決まる。輪郭が決まれば、そこにあるものが確定してしまう。
二軒目は、前の住人の書き付けが残っていた家だった。台所の吊り戸棚の内側に、鉛筆で小さく書いてある。「ここまでで完了」。その下に日付があった。二年前の日付である。
前の住人が誰だったのかを、わたしは知らない。知る必要もない。書き付けを読んだ人が、その一行をどう読んだかだけが、この件では効いてくる。
「これを見たとき、うちも同じようにしようと思ったんです」と、その家の人は言った。「ここまでで完了、って区切れば、あとは楽になるかなと」
その人は十一番までを開け、十二番を最後にすると決めた。決めた翌朝、十二番は空になっていた。中身がどこへ行ったのかは分からない。分かるのは、箱の重さが減っていないことだけだった。
捨てた家が二軒ある、と早瀬さんが電話で言った。統計官の彼は、数字にすれば怖くないと思っている人である。二軒とも、翌朝、玄関の内側に同じ箱が戻っていた。中身は空だった。空であることを確かめた人ほど、まだ何か入っているという手応えを強く受け取っている、と彼は言った。
そこがこの件のいちばん厄介なところだ、とわたしは思った。空だと正しく知っている人ほど、逃げ場がない。中身があると思い込んでいる人には、出せば終わるという道が残っている。正しく理解した人には、その道がない。
早瀬さんは数字を続けた。東末広での使用は市内平均の九倍。入居の日程が重なり、同じ言い回しで互いに知らせ合った。像はそれで揃った。使用が散れば手応えは薄まるはずだ、と彼は言った。はずだ、という言い方を彼はよく使う。予測を確認と言わないのは、彼の誠実さである。
「収束の見込みは」と、わたしは尋ねた。
「立ちません」と、彼は答えた。「引っ越しは終わりません。人はこれからも入ってきます。入ってくるたびに、同じ言い方をします」
夕方、わたしはもう一度、最初の家に戻った。十四番は土間の真ん中にあった。番号の十四が、油性ペンの太さで、少しにじんでいた。
わたしはその箱の前にしゃがんだ。鍵の引き渡しはもう済んでいる。掃除も終わっている。間取りに合わせて家具は入り、置くべきものは置かれた。設営は、たしかに完了していた。
完了した、という言い方が、この語のいちばん危ないところだと思う。完了は、終わりを保証しない。置き終えただけである。置き終えたあとにも時間は続く。続く時間の中で、置いたものは動く。動いてはいけないと決めたのは、語ではなく、そう読んだわたしたちのほうだった。
箱の中に手を入れた。何もなかった。何もない、という手応えが、確かにあった。
記録用紙に、収束の見込み立たず、と書いた。対処の欄には、記録のみ、と書いた。うちの課にできるのは、延命と、記録と、看取りだけである。防ぐ能力は、局にはない。隠す能力だけが高い。
帰り道、区の入口の掲示板をもう一度見た。設営完了、と書いた紙が貼られていた。誰が貼ったのかは書いていない。剥がすべきかどうかを、わたしは少し考えた。剥がしたところで、語は人の口の中にある。掲示板は、そのうちの一枚に過ぎない。
剥がさずに帰った。
置き土産、という語がある。前の住人が残していったものを指す。良いものにも悪いものにも使う。どちらに転ぶかは、受け取った人がその語をどう読んだかで決まる。吊り戸棚の内側の一行は、たぶん親切のつもりで書かれたのだと思う。親切のつもりだったものが、二年後に別の家の箱を止めている。
加害者は全員で、誰でもない。この仕事を始めてから、その言い方が正しいと思うようになった。誰も悪くない。それでも、起きたことは起きている。
駅前の自販機で、麦茶を買った。おつりの音が思ったより長く鳴った。
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