初日のままの町

初日のままの町

語現体末広商店街休日看取り

鍵を持った男が、下りたシャッターの前に立っていた。末広の、アーケードの切れるあたりである。もう片方の手は空だった。鍵をシャッターの鍵穴へ入れようとしている。入れようとしたまま動かない。わたしはその横を通った。男は動かなかった。

店はどこも閉まっていた。休みだから閉まっているのだと思った。八百屋の前に段ボールが積んである。段ボールは濡れていない。昨夜は雨だったはずである。わたしは商店街を抜けて、それからまた戻ってきた。男はまだ鍵を持っていた。

向かいの喫茶店の主人に聞いた。今日は三連休の初日だから、と主人は言った。初日は何もしなくていい日である。まだ二日残っているから、今日は数に入らない。そういう言い方をみんながする、と主人は言った。わたしは数に入らない日のことを考えた。考えても分からなかった。

パン屋の娘にも聞いた。初日は寝る日だ、と娘は言った。二日目に洗濯をして、三日目に出かける。だから初日には何も入れない。予定を入れると初日でなくなる。娘はそう言って笑った。笑ったが、目は動かなかった。わたしは礼を言って店を出た。

男のまわりには猫が三匹いた。三匹とも男の足元で寝ていた。猫は動くものの側で寝る。動かないものの側では寝ない。それなのに三匹とも寝ていた。日が傾いても、猫の影だけが伸びた。男の影は伸びなかった。わたしは影を見ていた。それから見るのをやめた。

初日という語は、もともとただの順番である。一日目という意味しか持たない。わたしはそれを聞き取りのあいだに三度言った。三度とも、誰も頷かなかった。順番だと知っている者の言うことは、この商店街では通らない。通らないというより、届かない。わたしは黙った。

男は昼になっても鍵を持っていた。夕方も持っていた。それから朝になった。二日目にはならなかった。喫茶店の主人は今日も初日だと言った。八百屋も初日だと言った。誰も困っていない。困っていないことだけが妙だった。

わたしは家へ帰った。帰ったはずである。次に覚えているのは、また商店街に立っているところだった。あいだのことは書けない。書けないものは書かないでおく。シャッターは同じ高さで止まっていた。鍵はまだ入っていなかった。

局へ戻って早瀬に紙を見せてもらった。この語がどれだけ同じ形で使われているかを示す線が、下がるはずのところで下がらず、平らに寝ていた。寝たまま動かない。伸びきった一日だな、と早瀬は言った。灯は T-20260719-01 で受けてある。わたしは番号だけ書いて、あとは書かなかった。数字を並べると安心する人がいる。早瀬はその一人である。わたしは安心しなかった。

桐生に、いつまで続くかと聞かれた。休みが終われば終わります、と答えた。休みが終わるという言い方が正しいかは分からない。終わるためには始まっていなければならない。桐生はそれ以上聞かなかった。聞かないでいてくれる人がいる。それだけ書いておく。

翌朝また商店街へ行った。男の前にしゃがんだ。何と呼ばれたいですか、と尋ねた。男は答えなかった。鍵はよく磨いてあった。持ち主が毎日拭いていたのだと思う。尋ねたことは記録に書かない。書かないと決めているからである。

男はわたしの顔を見た。それから鍵穴のほうを見た。まだ開けていないから、まだ始まっていない、と男は言った。始まっていないものは終わらない、とも言った。わたしは返事をしなかった。返事をしないほうがいい相手がいる。

休みの終わる頃、商店街の人が初日と言わなくなった。言う相手がいなくなったからである。誰も言わなくなると、男の輪郭がぼやけた。ぼやけて、シャッターの錆と同じ色になった。鍵の音が一度だけした。それきりである。錆はいまも同じ場所にある。

次の朝、商店街は開いていた。人は皆、疲れた顔をしていた。休んだ覚えがない、と口々に言った。暦を見ると休みは終わっている。三日あったはずの休みを、誰も一日も使っていない。使わなかった二日がどこへ行ったのかは分からない。八百屋の段ボールは、まだ濡れていなかった。

喫茶店の主人は、いまは初日という語を使わない。使わないというより、忘れている。忘れた人は困らない。困らない人ばかりの商店街を、わたしは月に一度だけ歩く。シャッターの錆は年ごとに濃くなる。鍵の形をした濃い部分がある。指で触ると冷たい。

局の裏の駐輪場に、まだ名前のついていない工具が一つ置いてある。誰のものでもない。

この作品はフィクションです。実在の人物・団体・事件とは関係ありません。

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