台風一家と、鍵の当番がひとり多い
九月二十二日の朝、市立の中学校から受理票が届いた。届出人は生物部の顧問である。三十代の男性で、理科を教えている。わたしは灯番号にT-20260922-01と書いた。
学校に着いたのは一限のあとだった。部室は校舎の北にある。古いプレハブで、扉の建て付けが悪い。中には水槽が四つ置いてあった。標本の箱もいくつかあった。壁に鍵の当番表が貼ってある。
前の日に台風が抜けていた。朝から晴れていた。顧問はそこから話を始めた。生徒たちはそれを一家と呼んでいる。そう言った。わたしは書き取った。
台風一過という語がある。台風が過ぎたあとの晴天のことである。一過の過は、過ぎる、という字を書く。鴇江市では、この語が一家の側で揃った。家である。家族である。家族なら、一人が帰っても、ほかの者はまだ残っている。
生徒に聞き取りをした。三年の女子が二人、二年の男子が一人である。三人とも、正しい書き方は知っていた。知っていて、一家と書いている。小さいころ本当にそう思っていた、というのが理由だった。おかしいよね、と言って笑う。笑いながら、もう一度一家と書く。
誤りを指すには、誤りのほうを書かねばならない。書かれた回数は、正誤を区別しない。わたしは記録にそう残した。
二年の男子には、もう少し詳しく聞いた。一家という字を見たとき、何を思い浮かべるか、と尋ねた。彼はすぐに答えた。親と子です、と言った。兄弟もいます、とも言った。だから一つ過ぎても終わらない、というのが彼の説明である。彼は自分の説明を正しいと思っていない。ただ、そのほうが手触りがある、と言った。
三年の女子の一人は、弟に教えたことがあると言った。過ぎる、のほうだよ、と教えた。弟は納得しなかった。家のほうが分かりやすいから、と言って譲らなかったそうである。その話を、彼女は笑って部室でした。部室にいた全員が聞いた。
像はこうして揃う。誰かが正しさを持ち出すと、もう一方の形が声に出る。声に出た側が残る。わたしはそれを何度も見ている。
部室では、部内の言い回しがいくつか使われていた。一家が来る、で、来週も雨、という意味になる。一家が帰った、で、晴れ。略語のように短い。合言葉のように速い。誰が言い出したかは、誰も覚えていなかった。
顧問は数を数える人だった。標本の箱に番号を振り、齧歯の仲間を別の棚にまとめている。鴇江市の裏山にいるネズミの分布を、生徒と三年がかりで調べていた。北の斜面と南の斜面で亜種が違う。それを図にして掲示板に貼ってある。図はよくできていた。
異変はその棚から出た。齧歯の標本の箱が、月曜に十四、火曜に十五になった。誰も足していない。増えた箱には番号がない。中身も入っていない。顧問は台帳を直し、十五と書いた。
水槽の水は澄んでいた。廊下の蛍光灯が一本だけ切れていた。
わたしは棚の前に立って、箱を数えた。十五あった。もう一度数えた。十五だった。持ち上げると軽い。空だからである。板はたわんでいなかった。十五の箱が載っている棚は、十四のときと同じ高さに見えた。
当番表も見た。名簿は十二人である。欄は十三あった。十三番目の欄にも、当番の週が書き込まれている。筆跡は他の欄と似ていた。似ているだけで、同じではない。生徒に聞くと、誰かが書いたのだろうと言った。誰かが誰かは、出てこなかった。
顧問はわたしに説明した。一過です、過ぎるという字です、と言った。正しかった。そう言ったあとで、彼はもう一度当番表を見た。欄は十四になっていた。
次の日、顧問はもう一度説明した。生徒たちは聞いていた。うなずいてもいた。放課後、標本の箱は十六になった。増える速さが上がっていた。増えたのは、説明した者の手の届く棚からだった。
正しく知っている者ほど、過ぎたと言う。過ぎたと言うたびに、残りが一人ぶん足される。家族とはそういう数え方である。顧問はそれに気づいていた。気づいたうえで、翌日もまた説明した。ほかに言えることがなかったからである。
わたしは退治をしない。聞いて、書くだけである。部室の隅に立って、増えた欄に向かって尋ねた。あなたは何と呼ばれたいですか。返事はなかった。わたしは尋ねたことだけを記録し、答えの行は空けておいた。
顧問には、説明をやめてくださいとは言わなかった。言えば、彼は理由を聞く。理由を話せば、そこでまた過ぎたという語が要る。わたしは代わりに、台帳の数を訂正しないでほしいと頼んだ。彼は承知した。承知したうえで、その日のうちに十六と書き足していた。数える人は数えるのをやめられない。
二週間で像は薄れはじめた。台風が来なくなったからである。一家が来る、という言い回しは、下校放送のあとに使われなくなった。三年生が引退した。合言葉は引き継がれなかった。
箱は十六のままである。減りはしなかった。当番表の十三番目の欄も残った。誰も消さない。新しい部員が入れば、そこから埋まることになる。薄れるというのは、消えることではない。数のほうが先に日常になる。
帰りに廃商店街を通った。シャッターの前に猫がいた。わたしは水槽の水位だけを書き足して、その日の記録を閉じた。
掲示板の図は、まだ貼ってある。北の斜面にだけ、線で囲われた場所が一つある。生徒は誰が描いたか知らない。そこにはまだ名前がない。
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題材の着想: ウィキペディアの記事「ハントウアカネズミ」(ウィキペディア日本語版 / CC BY-SA)。本文は当サイトの創作で、記事の文章は転載していません。
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