打ち水と、乾かない涼しさ
「見て、涼しくなるから」
そう言って、隣の家の人が柄杓で水をまいた。夕方の商店街だった。アスファルトが黒く濡れて、細い湯気が立った。わたしはその湯気を見ていた。涼しくは、なかった。むしろ、濡れた空気が肌にまとわりついた。
その週、鴇江市では「打ち水」という言葉が急に増えていた。暑さが続いた。みんなが同じ動画を見て、同じ言葉を使った。涼しくなる。涼しくなる。涼しくなる、と誰もが言った。語彙管理局の数字が、閾値のすぐ下で震えていた。同じ像を、大勢が一度に思い浮かべていた。
わたしは何人かに話を聞いた。みんな、同じことを言った。水をまけば涼しくなる。まくだけで、必ず、どこでも。迷いがなかった。八百屋の店主は、朝から三度まいたと言った。小学生の女の子は、暑い日は水をまくと涼しい風が来る、と教えてくれた。誰も、条件の話はしなかった。まけば涼しい。それだけを、同じ形で信じていた。
本当は、そうではない。打ち水が涼しいのは、水が蒸発するときに熱を持っていくからだ。日陰や朝夕で、水がちゃんと乾く時だけ効く。真昼の乾いた地面にまくと、蒸発した水で空気が湿るだけだ。かえって蒸し暑い。でも、それを知っている人は、少なかった。少ないから、誤解のほうが像になった。実体になるのは、正しい意味ではない。大勢が同じ形で信じた、間違いのほうだ。
三日目の夕方、濡れた足跡が商店街に続いていた。誰も歩いていないのに、足の形の水たまりが、ひとつ、またひとつと増えた。ぴちゃ、と低い音がした。水が跳ねる音ではなかった。何かが、そっと足を置く音だった。しゃがんで触れた。冷たくなかった。体温より、少しだけ高かった。指が濡れて、乾かなかった。手をふいても、また濡れた。
隣の家の人が、その足跡の上で「あ、涼しい」と言った。笑っていた。次の朝、その人は汗をかいていなかった。この暑さなのに。肌が濡れたまま、乾かない。触れると、体温がなかった。室温と同じに冷えていた。声が、湿っていた。動いてはいた。でも、暑さを、もう感じていなかった。
気象に詳しい人が来た。市の相談窓口で天気を説明している人だと言った。足跡を見て、はっきり言った。打ち水で涼しくなるのは条件がある。日陰で、朝か夕方で、水が乾くとき。これはその条件ではない。だから、これはただの気のせいだ、と。正しかった。一つも間違っていなかった。けれど、正しく言い切るほど、足跡はその人のほうへ寄った。では、本当に涼しくしてあげよう。そう振る舞った。正しく否定した人から順に、濡れた膜が足首に届いた。正しさは、盾にならなかった。むしろ、はっきり否定するほど、早く届いた。その人の指も、乾かなくなった。乾かなくなった指で、その人はもう一度「気のせいだ」と書いて、その字も濡れてにじんだ。
わたしは足跡の隣にしゃがんだ。退治のしかたは知らない。知ろうとも思わない。ただ、話を聞いて、記録する。それだけがわたしにできることだ。「あなたは、何と呼ばれたいですか」。返事はなかった。訊くだけ訊いて、答えは書かない。それが、わたしのやり方だ。足跡は、わたしの膝のそばで、また一つ増えた。近づいてきていた。
隣の家の人を、涼しくない場所へ連れ戻そうとした。日の当たる乾いた石の上に、手を引いて座らせた。しばらくは、肌があたたまるように見えた。でも、汗は出なかった。手を離すと、また濡れて、また冷えた。延ばせたのは、半日だけだった。
記録の紙が、湿った。涼しい、と書いた字が、にじんで、別の字に変わっていくのが見えた。わたしは書き直した。書き直した字も、濡れた。指先が冷たくなりかけて、わたしは手を引いた。もう少しで、わたしの指も乾かなくなるところだった。間に合わせようとして、間に合わなかった。隣の人は、もう暑い場所へは戻れなかった。汗をかくとはどういうことか、その人はもう思い出せないようだった。
夏の暑さが少しやわらいで、みんなが「打ち水」と言わなくなった。言葉が減ると、足跡も薄くなった。でも、消えなかった。商店街のいちばん低いところに、乾かない染みが一つ残った。よく晴れた日も、そこだけ濡れていた。人が通ると、少しだけ、涼しい気がするらしい。だから、その場所の名前は、誰も口にしなくなった。
帰り道、空はよく晴れていた。いや、晴れてはいなかった。西の低いところだけ、薄く曇っていた。誰も見ていない路地の奥で、小さな灯りが一つ、増えていた。濡れた地面に映って、二つに見えた。
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