山の日と、終わらない上り
山の日はどこへ行かれますか、と受付の女性が言った。八月十日の午前十時だった。わたしは、どこにも、と答えた。女性は少し困った顔をした。困る場面ではない。
同じことを今日は三度聞かれた。一度目は駅前の花屋である。二度目は市場の魚屋である。三度目がこの窓口である。三度とも、山の日はどこへ、という形だった。行くかどうかは尋ねられなかった。行く前提だけがあった。
山の日の趣旨は決まっている。山に親しむ機会を得て、山の恩恵に感謝する。それだけである。山へ行けとは書いていない。書いていないものは、書いていない。だが人は、山の日は山に行く日だと言う。言い続けると、そちらの形で揃う。
受理は前日の夕方だった。記録簿にはT-20260810-01とある。日付は今日である。受理は昨日である。ずれた記録はこの夏で八件目になる。八件目と書いてから、七件目までを数え直した。合っていた。
最初の届出は末広町の坂の下からだった。買い物帰りの男が、坂の途中で立ち止まった。荷物を持ち直しただけである。持ち直して歩き出したら、そこから先がずっと上りになった。坂を下りる向きに歩いても上りだった。男は家に着いた。着いたが、まだ上っていると言った。
同じ日のうちに、似た届出が五件来た。歩道橋の中ほどで足を止めた高校生。図書館の階段で本を落とした女性。跨線橋で電話を取った配達員。四件目と五件目は、どこで止まったかを覚えていなかった。覚えていないが、上っていることは分かると言った。
白河が、行けばいいのではないですか、と言った。山に行けば解けるのではないですかという意味である。わたしは、そうかもしれません、と答えた。答えてから、行った人の届出が一件も来ていないことを付け足した。行った人は届け出ない。届け出ないので、解けたかどうかが分からない。
第四課の職員に、祝日の趣旨をそのまま覚えている者がいた。彼は窓口で説明した。山の日は登る日ではありません、親しむ機会を得る日です、と。正しい説明である。正しい説明をした彼が、その日の夕方に戻れなくなった。庁舎の階段で書類を拾おうとして、足を止めたのだという。
現地は市の東、末広町の裏の細い坂だった。幅は一間ほどある。両側は塀である。塀の上に草が出ていた。草は動いていなかった。わたしは坂を上った。上りきってから振り返ると、上ってきた側も上りだった。もう一度歩くと、やはり上りだった。三度試して、三度ともそうだった。
それは坂の中ほどにいた。姿はない。ただ、そこで足を止めると、止めた場所から先が上りになる。上りになる場所の輪郭だけが、はっきりしていた。わたしは規定どおり尋ねた。何と呼ばれたいですか、と。返事はなかった。返事の代わりに、靴の中で足の指が一度だけ動いた。
撃退の方法はない。この種のものに、方法という語は当てはまらない。できるのは三つである。傾きの広がる速さを測ること。止まった者を一人ずつ訪ねること。上りきれないあいだ、そばにいること。三つとも、終わらせるための行為ではない。
坂の下の男には四度会った。一度目は坂の話をした。二度目は荷物の話をした。三度目は膝の話をした。四度目には、何の話をしていたかを忘れていた。忘れても足は上がる。上がることだけが残る。山の日という語が、そのまま形になったようだった。
早瀬の予測では、八月中旬に言及が減れば傾きは戻る。戻るのであって、平らになるのではない。上った分がどこへ行くのかは分かっていない。誰も上っていないはずの高さが、それでも誰かの足元にある。
帰り道、坂の下の電柱のところに灯りが一つあった。前に来たときには無かった。誰も見ていない場所で灯りが増えるのは、この街ではよくあることである。よくあるが、記録には残す。わたしはその灯りの高さを書き留めるべきか少し考え、書かないことにした。書けば高さが決まる。
庁舎に戻って、記録簿に八件目と書いた。書いてから、今日聞かれた回数を数えた。花屋、魚屋、窓口で三度である。三度で合っている。合っているのに、帰りの平らな廊下で、わたしは一度だけ足を高く上げていた。上げてから、いつもの歩幅に戻した。
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