バナナの日と、区切られた一日
今日を思い出せないんです、と男は言った。窓口の高さは腰までで、男はそこに両手を置いていた。手の甲に日焼けの境があった。半袖の袖口の位置で色が変わっている。午前九時を十二分過ぎたところで、窓の外はもう白かった。
わたしは届出書の様式第四号を出し、発生日欄と申告日欄に同じ日付を書いた。同じ日になる場合は備考に理由を書く決まりがある。発生日が本日であるため、と書いた。書きながら、この欄に本日と書くのは今月に入って四度目だと思った。記録簿にはT-20260807-01と記した。
男は五十代で、職業欄には自営とあった。事象の内容欄には一行だけ書かれていた。八月七日を思い出せない、とある。わたしは日付を確認した。本日は八月七日である。まだ半分も過ぎていない。
説明を求めると、男は順に話した。朝六時に起き、店を開け、十時に納品を受け、昼に定食屋へ行き、二時に取引先と電話をした。そこまでは言えた。では、と訊いた。今日は何の日でしたか。男は答えた。バナナの日でした。それから黙った。三十秒ほど待った。男はもう一度、バナナの日でした、と言った。
手続き上、この時点では受理しかできない。判定は現地確認のあとである。わたしは男に、時間を測ってよいかと尋ねた。許可を得て、質問から回答までの秒数を記録した。一問目は二秒、二問目は二秒、三問目は二十九秒だった。三問目だけが、その日についての質問である。
記念日とは、日付に付けられた名である。八月七日をバナナの日と呼ぶのは、八と七の読みをそう並べられるからにすぎない。音が合っただけで、日付が誰かのものになるわけではない。同じ日には別の名を持つ記念日が二十件以上ある。花に関するもの、菓子に関するもの、遊技に関するもの。どれも同じ一日に重なっている。重なるのは、日付が誰のものでもないからである。
ところが人は、この語を「用意された一日」として使う。バナナのための日、と言う。ためのという語には、用意した者と、用意された時間と、そこに置かれる誰かが付いてくる。付いてきた像のほうが、語の中身より強い。
現地は市の東、末広町から二筋外れた青果の卸だった。届出人の店である。中に入ると、床は掃かれていて、荷は積まれていた。日付の分かるものが三つあった。壁の暦、伝票の日付、そして冷蔵庫の上に置かれた検品票である。三つとも本日を示していた。
わたしは店の中を歩いた。奥へ進むと、空気の温度が下がる箇所があった。温度計を当てると、店内より一・四度低い。境はあいまいだが、位置はほぼ一定だった。踏み越えると音の聞こえ方が変わる。外を走る車の音が、遅れて届く。遅れは半秒に満たない。
境の内側で、わたしは規定どおり尋ねた。何と呼ばれたいですか。返事はなかった。返事の代わりに、腕時計の秒針が二度、同じ位置を刻んだ。二度目のほうが短かった。
外へ出てから、わたしは自分の記録を見返した。入ってから出るまでの所要は十一分と書いてある。実際に十一分だったかは分からない。書いた記憶はある。書いたときに何を見ていたかが、うまく出てこない。
白河が、大丈夫ですか、と訊いた。わたしは、大丈夫です、と答えた。答えてから、今日は何の日ですか、と自分に訊いた。答えは出た。八月七日である。名前のほうは出さなかった。出さないようにした、というより、出す前に止めた。止められることが分かっただけ収穫である。
撃退の方法はない。この種のものに、そもそも方法という語が当てはまらない。できるのは三つだけである。像を薄めること。像の届かない場所へ人を移すこと。そして、記録すること。三つ目は本人のためにはならない。
薄めるための手続きは、様式第九号の申請から始まる。申請から決裁まで、印は四つ要る。四つ目の印が押されるのは早くて六日後で、そのころには八月七日は過ぎている。過ぎたあとに薄めても、区画は閉じない。制度はそういう作りになっている。作りが間違っているのではなく、名を扱う手続きが名の速さに追いついていない、というだけである。
帰りに、白河が卸の前で足を止めた。あの人、明日になったらどうなるんですか、と訊いた。わたしは、日付は変わりますが、その人の八月七日は変わりません、と答えた。答えてから、日付が変わることと、日が終わることは別です、と付け足した。
白河は、それは何と呼べばいいんですか、と訊いた。わたしは答えなかった。名前を付けると、そこから始まるものがある。この件については、まだ名前がない。ないままにしておく理由が、この街には十分にある。
報告書を閉じた。最後の一行のあとに、いつもの空行を一行入れた。長さは前の記録と同じにした。同じにする理由は、規定にはない。
この作品はフィクションです。実在の人物・団体・事件とは関係ありません。
投稿は公開されます。個人情報や誹謗中傷は書かないでください。作品はフィクションです。