点灯した数と、呼べなくなった人
点いたらもう決まりでしょう、と店主は言った。八月二日、鴇江市の商店街、理髪店の中である。鋏を持つ手は止めなかった。何が決まるのですかと尋ねると、勝ちですよ、と返ってきた。
灯番号 T-20260805-02。受理は八月五日、午後六時十分。鴇江市語現記録局、七尾ことは。以下は事後の記述である。対策の記録ではない。
八月一日から四日にかけて、鴇江市内でひとつの言い回しが急に増えた。整理番号 R-0805-11 の集計によれば、四日間で照会が四百二十件。市の人口を考えれば異常な数である。語は「点灯」だった。正しくは、勝ち残るまでに必要な数の数え上げが始まった、という意味である。数はそこから一ずつ減っていく。まだ決まっていない、という意味の語だ。
だが街ではそう使われていなかった。
理髪店の店主は戸辺さんという。整理番号 R-0805-14 が聞き取りの記録である。同じ日の午後、市立中学の生徒三名からも同じ答えを得た。点いた側が勝つ。四人とも、数が減るという話をしなかった。
像は揃っていた。確定である。
八月三日、午前五時四十分。商店街の東の角に、最初の灯が点いた。
高さは人の頭より少し上だった。白に近い橙の数字で、まばたきをしない。近づくと、体温よりわずかに高い空気が顔に当たった。音はしなかった。灯の下には戸辺さんがいた。数字は七だった。
戸辺さんは笑っていた。うちに点いた、と言った。
翌四日の朝、数字は六になっていた。
この日から、戸辺さんの店で起きたことを整理番号 R-0805-19 に記録している。四日、戸辺さんは客の名前を一人ぶん思い出せなかった。五日、鋏の持ち方をひとつ忘れた。六日、店の鍵の場所を忘れた。減っていたのは数字だけではない。一日にひとつずつ、他人に返せるものが減っていた。
わたしは数の意味を知っていた。減るのだと知っていた。だから戸辺さんに説明した。これは確定ではありません、と。
説明した翌日、戸辺さんの数字は二つ減った。
この件について、後任のあなたに一つだけ伝えておく。正しい意味を教えることは、ここでは救助ではない。像は街が共有したもので、こちらの正しさで書き換わらない。正しさを持ち込むと、その人の数だけが速く減る。わたしはそれを、戸辺さんの残り二日で知った。
八月七日、数字は零になった。
戸辺さんは店にいた。椅子に座って、いつもの姿勢で新聞を読んでいた。声も出していた。おはよう、と言った。わたしは返そうとした。返せなかった。名前が口から出なかった。喉の形はできているのに、音にならない。隣にいた客も同じだった。その人は口を三度開けて、三度とも閉じた。
戸辺さんは、呼ばれるのを待つ顔で、こちらを見ていた。
その日から、店は開いている。人は入らない。誰も入り方を思い出せないからではない。入って、名前を呼べないことに気づくのが、こわいからである。
八月八日、灯は薄くなった。九日にはほとんど見えなくなった。言及が減れば語現体も薄れる。これは規則どおりである。ただし薄れるのは灯だけで、零になった数は戻らない。灯の消えた角には、いまも夕方だけ、少し温かい空気が残っている。
わたしは戸辺さんに、最後に一度だけ尋ねた。何と呼ばれたいですか、と。答えは記録しない。
記録の終わりに、関係のないことを一つ書いておく。局の裏手の物置に、誰も点けていない灯りが一つ増えている。数え直しても一つ多い。
先ほど、書架の整理をしていて手が止まった。棚板が、指先だけ温かかった。人の頭より少し上の高さである。
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